【TAROの日記】

2017/02/06(月) 08:54

おかしなラップ

ラジオを聞きながら仕事をしていたら、変なラップが流れてきた。

いわゆるJ-POP的な、「いかにもー」な感じで、とても聞いていられない。ラジオを切って届いたばかりのCDを聞くことにした。、「ラップが流行っているらしいけど、ここまで酷い品質にして広く浸透させるのは、どうなのか?」と思った。

・・・・けど、この私のような男が怒りたくなる「仕業」って、実はとても良い仕事なのかもしれない。作り手は、音楽のプロだ。そういう人があえて作っちゃった商品がアレなわけで、それはそれはよーく工夫されてアレになっているハズである。

中学校の合唱コンクールの課題曲みたいな曲が、ロックなどの形式を借りて歌われることが増えている。ハードコアがさらにさらにソフトになった(そもそも、ハードコアって、精神はソフトだと思う・・)ようなものも多くなった。「マイルドヤンキー」という言葉があるようだが、そもそも、ヤンキーって実は嗜好は元々マイルド。そして、それがさらにま~~イルドな感じになっているのだと勝手に思っている。

そして、作り手はそこんところに、ダイレクトに手を入れてくる。「実はね・・」みたいな裏はなく、直球。それも豪速球ではない。打てない球は投げないのだ。ガーターがないボーリングがあるらしいが、そんな精神である。

でぇ、こんなこと言っている私みたいなのはどんどん肩身が狭くなって、ラジオもテレビも聞けなくなる。まー仕方がない。みんな一生懸命仕事をした結果なのだから、ブツブツ言わずに自分の住処でおとなしくしているのが肝心だ。そして、外部の世界の興味はさらに低くなる。きっと年なのだ。他者から見たら、それだけのことである。

 

【TAROの日記】

2017/02/03(金) 09:13

元の目的

英語の音に面白みを感じるようになってきた。

子供の頃、Lは舌を上顎につけて、Rは離す・・・なんてことを習ってきたけど、微妙なお話であるし、後はThとかF,Vくらいしか習ってきていないから、私たちの時代の学校の英語って、発音の立場から見ると、とてもいい加減なものだったんだなーと思ったりもする。

もう少し極端に言えば、デタラメだったとも言えるだろう。なにせ、その言語の大きな特徴を無視して学習しているのだから、そう言っても遠からずである。

まー、しかし、そんなデタラメは世の中じゅうにあるので、どうでもいいとは思う。だいたい、偉い人達が「これでいい」と思ったのだから、それでよかったのだろう。つまり、コミニュケーションなんてどうでもよくて、文献解読に使う道具として英語はあったというわけである。そして、その考えはとても古くなってしまった。道具の意味は時代と共に変わるってことなのだ。

でも、同時に、元の目的にフォーカスすれば別の意味が立ち上がってくる。ただニコニコして英語圏の人と世間話をしていればいいのかよーって意味はよーく考える必要があるんじゃないだろうか?

そんな感じで元の目的がアヤフヤになってしまったり、重要なのに死滅してしまう・・ということは多く起きていると思う。そこで、いろんなものの「元の意味」を考えてみる。例えば、パソコンとかテレビとか鉛筆とか机とか・・・・・・・・・・。まーなんでもいいのだ。

でぇ、これがなかなか面白い。私は暇な時そんなことをして一人ほくそ笑んでいる。

【TAROの日記】

2017/02/02(木) 08:47

なんだか、変な感じ・・というか寂しい感じ・・。

フロアーやパソコン、プリンターなどが運び出され、隣で働いていたスタッフ数名が移動し、何だか変である。はっきり言って寂しい。

今まで、増えることはあっても減ることはなかったのだから、当然そう思えても仕方がないのだが、このままどんどん小さくなっていったらどうしよーなどと、らしくない考えが浮かんだりする。外は雪。そして、とても寒い。早く春が来ないかなーなどと、これも、らしくなく思う。

仕事が大量に襲ってきているので、仕事をしているうちに、今の景色にあっと言う間に慣れてしまうのだと思うけれど、今の感じは子供たちが旅立って行った時よりも淋しいかも・・。

 

地球は回る。私たちを騙して回る。私たちは騙されて回る。太陽は高くも低くもなくて、私たちの時間軸では何もかも変わらなくて、でも、何もかもが変わる。

私たちは変わらぬものを期待し、同一化し、でも、変化という騙しに翻弄され、実は、変わっていないものに気づかない。少し広くなったオフィスの空間には、ここに引っ越してきた頃の空気がある。あの15年前の空気である。

どうして、オレはこれに気づかなかったのだろう?

 

とにもかくにも、またはじまるのである。

 

【苦しめTAROお仕事LIVE】

2017/01/31(火) 08:34

23年間

本日を持って、一つの仕事に終止符を打つこととした。
22年と11ヶ月。ほぼ23年。

ふっと浮かぶのは、当時住んでいた借家の2階から机を降ろして事務所に運んだ景色。

今は、もうその机はない。
借家も今は住んではいない。
事務所も引っ越しをした。
本当に、あっと言う間だった。

今回の決定に伴い、スタッフの一部も譲渡した仕事とともに移動する。
私の横にあったいくつかの机やパソコン、そして書籍などもすでに移動を終わっている。
あの23年前と同じように、再び、搬送作業が行われているのが不思議だ。
昔は、私一人だけでやったけれど、今は、私の出張中に何もかもが進んでいく。

スタッフを含めた協力者により、懸案は滞りなく終了しそうだ。
スムーズにすべてが進んだのは、そうした協力者のお陰である。

そして新しいスタートである。
それなりにキャッシュフローを稼いでいた事業を売却した。
別に東芝みたいに困っているわけではないし、私の望みは売却事業の存続なので、時価よりかなり安く売った(もちろん、購入者の貢献度も計算に入っている)。
そんなわけで、金銭的なお得は何もないので、気分は勝手に頑張りたくなる。これは資本主義下に生まれた者の性なんだろうな・・・・・・・・。

まずは、23年間に、ありがとーと頭を下げて、これから作っていくものに、こんにちはーと言っておこう。
時は流れている。

【TAROの日記】

2017/01/30(月) 08:35

ヌーベルバーグ

フィリップ・ガレルの新作を見た。
そして、21世紀のヌーベルバーグの映像を見て思った。
「どうしていつまでも新鮮なんだろう?」

ヌーベルバーグ
ニューウェーブ
ボサノバ  ・・・・・・・

それは、それぞれの時代の新しい波であったわけだけど、そのまま一つのジャンルになった。
そして、ヌーベルバーグには、ヌーベルバーグの共通した匂いがあって、それにやられてしまった者は、いつになっても離れられない。
ヌーベルバーグは重要人物の多くが亡くなり、ゴダールははるか彼方に飛んでいってしまっているので、フィリップ・ガレルは、やられてしまった人たちにとって防波堤とも言える。もちろん、新しい人たちの中にも瑞々しいヌーベルバーグ感を畳み込んだ作品を作っている人たちはいる。でも、当事者らしいsomethingは何だか違うのだよ・・。
それは、昨年年末にロフトで見たニューウェーブにも感じたし、コットンクラブで見たボサノバにも感じだ。

ただ少し残念なことは、レオス・カラックスの登場で、ヌーベル・ヌーベルバーグという言葉が出現したことはあったものの、その後、ヌーベルバーグもニューウェーブもボサノバも更新がない。一つのジャンルとなって、止まってしまった。

でも、私は止まっても全然かまわないとは思っている。
むしろ、知りたいことは、一つの「なぜ?」

この3つの新しい波は、どうしていつまでも新しいのか?・・という疑問。
いつになっても古びない。
だから、懐メロにならない。
それが不思議だ。

それぞれのジャンルで起きた革命は、世界の革命同様に、その後反動が起きた。そして、反動たちは古びていった。

もちろん、古びてしまった反動にも根強さはある。ヤンキー化や学園化なんて、案外、新しい波よりも不変かもしれない(笑)。

ところで、2年ぶりに、『映画セミナー』をやります。
時期は未定ですが、前回のテーマをさらに深めます。

なお、今回のお題の一本はヌーベルバーグの珠玉の逸品。
そして、もう一本は、ポスト構造主義的一本です(これがドイツ映画というのがいいんだよな・・)。

特に、前者は最近のおしゃれな映画館で見るより、古びた映画館が似合います。

でえ、これにチャップリンを絡めた内容になる予定です。

なお、前回のような、終わりに「えーーー!&’%’$#%$’&!!」となるような真似はしないのでご安心下さい(笑)。

 

【TAROの日記】

2017/01/18(水) 08:35

ベターと開脚

あの「ベター」というのは、視覚的にもそそるものがある。
その表紙のせいかどうかわからないけど、本はベストセラー。

気づいたら、我が家にも本があって笑った。
それも買ったのは、どうも私らしい。
ブームになってから、我が家にも本があることを発見したくらいだから、完全に表紙にやられたのだと思う。

このことを周辺の専門家に言うと、「あなたでも、買ってしまうのか・・」と呆れ顔。彼らの常識では、あんなことはやってはいけないらしい。

毎度のことだが、自分が専門とすることでバカなことが言われていると、「あんなのダメよ」と思うし、そうアドバイスしているのだけど、守備範囲を超えると途端に騙されるの。
特に、健康系にはとても弱い。それも専門家の間でいろんな議論があって迷走しているものもあるから、そんなものである。

人はなかなかお利口に生きていくのは難しい。
まー、答えがないのだから仕方がないけれど、もう少しなんとかならないか・・と思う。

ところで、私は、今、ここに書いたら、誰もが喜ぶとても得することを知っている。もちろん、そのことはここでは書かない。書いてしまえば、”おいしさ”が吹っ飛ぶ可能性が大きいのだから仕方がない。まー、そんなものである。

こうして、ネットには、あまりおいしい話はない。そこそこの情報とウソが乱舞する。
本屋さんには、素晴らしい情報もたくさんあるが、目立つのは、やっぱり、そこそこの情報とウソである。

この間、東京駅近くの丸善書店に行った。本屋に行くのは久しぶりである(本好きの私がこうなってしまったところに、大きな問題があるよなー)。
1階しか行けなかったけど、アゼンとした。大げさではなく、軽く吐き気がしてすぐに出た。
昔は、本の表紙を見ているだけで、ワクワクしたものだけど、どうなってしまったんだろう?
まー、「ベター」に反応してるから偉そうなことは言えないけど・・。

【TAROの日記】

2017/01/16(月) 09:32

年頭セミナー@金沢

今年の『年頭セミナー』は金沢。
北陸新幹線には、毎月何回も乗っているというのに、金沢方面に行ったことがない・・という理由で選んだのだけど、旨いものを堪能したかったのも大きい。

ブログなどで、「旨いもの食べました!」なんて書くことは、一番やりたくないことだけど、旨いものは旨い。
旨い店が多い金沢が私の住む場所から1時間で行けるようになったのは大きい。なにせ、新潟市に行くよりも便利になっちゃたのだから・・(ってことを、今頃知った)。

金沢に初めて行ったのは、高校1年生の春休み。
雪の降る中を、ロードレーサーで行った。確か、220kmくらいはあったと思う。
さらに、泊まる予定のユースホステルが、郊外の山の中で金沢についてから、さらに長くて辛い坂を1時間半くらい走らされたと記憶している。
そして、翌日には能登半島に旅立ったので、金沢の名所は兼六園の前を通っただけ。
それ以降、金沢との縁はまったくなくなった。

しかし、脱サラして大阪に出張するようになってから、駅弁の旨さを知る。
ただし、ホームの駅弁ではダメで、一度改札を出て買いに行かねばならない。
約10分の乗り換えを使って、とにかく走る。そして、人を蹴散らす。一瞬で買う弁当を決め、そそくさと会計をし、特急に飛び乗る。
数年前に、駅ビルの改修があったときはまいった。目的の店がいつもの場所にない。もう、世界が終わると思ったね・・。
そんなわけで、私の金沢は、弁当の旨いところとなった。

弁当旨い街、金沢の発見から23年。
今回、やっと金沢を堪能した。
その間に2度ほど訪れているけれど、一度は金のない頃で、もう一回は小さな子どもを3人連れて郊外のプールで遊んだだけ。

それが、金沢の方から「1時間で来れるわよ。来てよね!」って微笑んでくれたのだからタマラナイ。
だから、年に4回は行こう!と決めたね。
だんだん年を取ってくると、遠くにいくのが億劫になると思われるので、有効な発見だった・・ととても思う。

【TAROの日記】

2017/01/10(火) 08:34

街が壊れていく・・

久しぶりに地元でお客様周りをやっている。
中には20年ぶりに行くようなところもあって、何もかもが懐かしい。

普段、地元を車で走ることはほとんどない。
月の半分もいないうえに、いても家と事務所の往復だけだから、自然に地元のことは疎くなる。

だから、久しぶりに車でいろいろ廻っていると、その景色の変換に驚く。
新しい道はできているし、1990年代にオープン時だけ一世を風靡したパワーセンターは廃墟に近くなっている。
建物もなくなっていたり、新しくできたり・・・・・。

ただ大きな印象は、「センスの悪い経営者たちに街が破壊されている・・」という気分。
デザインがビジネスの要諦になって久しいが、私のいるような地方都市では、そんなことはどうでもいい・・というか中途半端というか、やっぱりどうでもいい・・というか・・・。そういうものが溢れている。

デザインのミソの一つに、一生懸命素人考えを推し進めると、普通になっちゃう・・というものがあるが、その「普通になっちゃう」にさえ到達していないのだから、恐ろしい。

すでに、ビジネスは普通の人がはじめる・・というような領域にはないわけだが、それを如実に表しているのが街の景色と言っていいだろう。

いずれにしても、あらゆるモノが壊れていく。
いろいろ適当に作ってきてしまった代物は、本来は保全されるべきであった調整区域にも侵入。そして、後は壊れていくだけ。そういう状況に溢れた街は悲しみをおびて私の目に映る。

さて、でも、そういう間にあるということは、実は面白い状況にある・・とも言えるかも?
まー、この”田舎”には無理だと思うが・・。きっと、新しくできた新幹線の駅前もどんどん景色が壊れていくのだと思う。

【苦しめTAROお仕事LIVE】

2017/01/05(木) 08:38

メールが溜まっている

メールを溜めたことなど過去にはなかったけれど、現在、メールが溜まっている。

どうでもいいメールは、「はい」とか「OK」でいい。
部下からのメールのほとんども「はい」「OK」でいい。

ところが、少しメンドーなものは、当然のことだけど、考えて返信しなくてはならない。
そういうメールは普通滅多にない。
せいぜい部下が言ってくるい事で、30回に1回くらい、「んーー、どうなの?」というのがあるくらいである。
また、そういう部下のメールは、こっちの脳みそを稼働させる”きっかけ”にもなっていて、いわゆる仕事の流れみたいなものである。

そして、まー、そんなルーチンなメールのやり取りで日々は過ぎる。
以上終わり・・である。
日常的風景を超えくるメールは、1年に一本。いやいや2年に1本くらいだろう。
それが、数本、連続で来たというのがコトの真相・・というと大げさだが、現在の状況である。

このブログを書く程度の気楽さで、あーでもない、こーでもない・・と書けるものならいいけれど、目の前の仕事の山にも追われつつ、昨年からそのままになっている。

さて、いつ返信できるのか?
できたら、今日せねばなるまいな・・・・・。

今年って、どうなっちゃんだろう・・って予感の景色は、こういうところに垣間見られたりする。

【苦しめTAROお仕事LIVE】

2017/01/04(水) 08:34

雪が降らぬことと祈りつつ、また新年・・

あけましておめでとうございます。・・と書いてはじめねばならぬ慣習に少し辟易しつつ・・・・、
あれ?
でも、「あけましておめでとうございます」という言葉を今年はまだ口にしていなかった・・ということに気づいた。
「昨年もお世話になりました」系は言ってたけど、「「あけましておめでとうございます」は言ってないな・・。
潜在的に、おめでたくはないことが意識されているのかも・・?

だいたい、私はこの日(いわゆる、仕事始め)が来るのを恐れていた。
今年ほど、土日が重なったことを恨めしく思ったこともない。
ほぼほぼ、ゆっくりもできぬまま、休みは終わり。
後は、山のような仕事のノルマをこなすだけ・・・・・・。

暮に、大きな意思決定をした。
その後始末で今月はさらに忙しい。
そして、そのために、いろいろと出かけなくてはならないので、雪は降ってほしくない。
もう、祈るしかないけれど、雪だけはご勘弁である。

さて、洗面器にはなみなみと水が入っているようなので、顔を入れますか・・。
潜水~。

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