【TAROの日記】
2013/12/11(水) 08:36
基礎期
会社の窓から一番近くに見える南葉山も白くなるし、妙高山も真っ白になり、冬がきたなーという感じだ。
昨日までいた軽井沢は比較的暖かかったけれど、昨日の大雨で一気に冬に向かっている感じ。
それでも、今日は穏やかな天気だ。
山が白くて、穏やかな景色の中にいると、「あー、今年も終わりかー」という気分が強くなる。
会社の年末会議では、みんなに言いたいことも言ったし、幹部陣には、今後の自分の考えも話したので、いろんな意味で一回ケリがついた感もある。
そして、これで、また来年も最初に戻って働くのだ。
来年で、社会に出て30年。
10年のサラリーマン生活と20年のビジネス生活。
さて、次は何か?
脱サラ後、自分を助けてくれたものは、すべて学生時代とサラリーマン時代に学んだことだった。もうそれ以上でもそれ以下でもない。基礎的な力がないものは、花火しか上がらなくて使えないから、基礎期がすべてだと痛感している。
だから、これからもそうだろう。
約32年間の基礎期がコトを左右する。
極端に言えば、今から学んでも遅いのだ。
では、これからの私にとって起業してからの20年は、単なる収穫でしかなく、意味がなかったのか?
もちろん、そんなことはない。
理論の実践ほど役に立つものはない。
20年というのは、いろいろなものを血肉にした20年で、それは基礎期の再発見期と表現するのが正しいだろう。
つまり、本番はこれからなのだ。
やっと基礎期が終わったんだもんね。
【TAROの日記】
2013/12/09(月) 08:31
サブパーソナリティー
今日は、当社の年末会議。
これから、軽井沢のリゾートホテルへ行く。
このくらいの時期に、軽井沢で会議をします・・とは聞いていたけど、例のごとく適当に返事をしているので、具体的に今日行かなくてはならなくなって困っている。
金曜日に穂高から帰ってヘトヘト。
おかげで、重要な仕事を2つ延期した。
身体は疲れていても動くけれど、気分が乗らない。スイッチの変換が昔よりもスムーズにいかなくなっているのだろう。
土日は幸い雨。予定していた家の仕事もできない。
それで、スイッチも入らない・・とくれば、遊ぶしかない。
でぇ、遊んでみると驚くことに、2日間の私は耳が良い。
スイッチが入らないからだろうか?
異様に耳が良くて、聞いた音の再現がスムーズ&ポジションのアイデアもすぐに浮かぶ。
遊びの創造エネルギーの一年分を使いきってしまったか?と心配になるくらいの調子だった。
私は、サブパーソナリティーの集合体のわけだけど、使っているのはいつも一つのパーソナリティーだ。
それで仕事をして仕事をして仕事をする。
でぇ、時々、このパーソナリティーで遊んだりもする。
しかし、遊ぶ時は、別のを使ったほうが良いらしい・・。
さて、軽井沢に出発だ。
会議・・という懇親会にしか思えないけど、了解したには今からやめるわけにもいかない。
また、数週間後に年始会議だというのにな~。
【苦しめTAROお仕事LIVE】
2013/12/03(火) 08:27
コンテンツの終り
明日から、今年最後のセミナーである。
穂高での年末の3日間は場所は悪くはないが、仕事なので結構辛い。
冒頭に、「今年最後のセミナー」と書いたけれど、書きながら違和感を感じた。
私は、セミナーなんてやっているのだろうか?
おそらくほとんどやっていない。
今年は、明日からのセミナーを含めて合宿形式は4回やった(ただし、それ以外はまったくなし)。そのうち一回はモンゴルでやっている。
しかし、そのうち3つはほとんどが常連様・・というか知らない人が来ることのほうがあり得ない。
さらに、唯一残った一つも、再受講者が半分を占めるので似たようなもの。
それでさらに、来年は一つやめるつもりで、モンゴルも検討したけど来年はおそらくない。
我がアイデンティティーを「ツチノコ」と思っている私ではあるけれど、やっている仕事の種類からいって、こういうのは少しおかしいとは言えるだろう。
しかし、どうしても深く掘るほうが好きなタイプなので、私のトンネル工事に付き合っていただける方々が、毎回、トンネル工事に一緒に参加してくれて今に至る・・ということだと思う。
おそらく、この状況はさらにひどくなる模様で、気分は「もっと深く掘ってみたい」という感じが強い。
今年実行しようとしてできなかったコンテンツもある。
そして、来年は、私の興味、趣味丸出しのワンデイセミナーを久しぶりやるつもりでもいる。
でも、ここまでくればトコトンまで掘りたい。
そのほうが面白いし、長い目で見ればほんとうに役に立つコンテンツが提供できると思っている。
いやいや、最早、コンテンツなどという言葉を使いたくはない。
そんなものじゃないものを共有したいという私の気分は、常連の方々にはわかっていただけると思う。
さて、そんな気分で、本日は、明日の準備に没頭しますか・・。
【TAROの日記】
2013/12/02(月) 08:29
虹
大きな虹が出ていた。
全部つながっていて、さらに二重。
今日の通勤は、この虹に向かって車を走らせるシチュエイションだったので気持ちが良かった。
ジェイムズの言うとおりの人は指向性の生き物なのだろう。なんでもいいから、向かうものがあると身体のエネルギーの感じが違う。
さらに、虹には不思議な肯定感があるので、エネルギーはさらに増すように感じる。
いまだに、腰が痛くて、腰が痛いだけで気分が少し滅入っているけれど、虹が出ているだけで、気分が良い。
今日は、このままこの良い気分で仕事を片付けようと思う。
明後日から穂高でセミナーで、帰ったら怒涛の年末。バンドの合宿もあるから、今日、明日の仕事の進捗はとても重要だ。とにかく、ウカウカしていられない。
そういう点で、朝からいいものを見た。あれだけで気分が違うんだから不思議だ。
結局、人間なんて、このちょっとした気分の違いが、運命全体を決めてしまっているのかもしれない。
そう思うと、微妙なことってバカに出来ないと改めて思うのだった。
【TAROの日記】
2013/11/29(金) 08:29
堤清二の死
人の死には、時代の象徴性がある・・といつも思っている。
だから、有名人の死には、いつも何らかの反応をしている。
昨日の堤清二の死の報道は、中内功の死と同様に、個人的にいろいろな感慨がある。
彼ら二人は、私の大学時代のアイドルだった。
堤清二は、当時、東大で講義もやっていて、潜り込んで聞きに行ったこともある。
二人とも晩年は、失敗者の烙印を押されてしまったが、だからといって、彼らのやってきたことが全てダメだったわけではない。むしろ、残したものは大きい。
特に、堤清二の残したものは、今も多くが元気だ。
グループとしては解体されてしまったが、中には、今でも優良企業とされているものもある。
その姿は、鈴木商店に似ていると思う。
「大衆が驚くほど優れた直感力を持つ」
若き頃、堤清二は思った。
そして、「おいしい生活」という糸井重里のコピーに代表される大衆消費社会の実現に大きく寄与した。
彼は、80年台後半から、脱大衆に方向転換するが、彼が残したものは大衆文化だったと思う。
その彼が死んだ。
それは、大衆文化の死の象徴だと思う。
彼がグループ企業を大きく育成した時期は、大衆音楽で言うとGSからニューロックへの転換、そして、アンダーグランドだったロックが商売になるとレコード会社が気づいた頃だ。さらに、ニューウェーブが出現し、大衆文化に様々なアンダーなものが浸透していった頃だった。
あのイケイケの時代は、もちろん過去でしかないが、大衆消費と大衆文化はさらに縮小化しながら、またGS以前に戻っていく。
中間層の発生、拡大。そして、その崩壊。
最早、直感力に優れた大衆はいない。
「どうも私は日本経済を堕落させ、渋谷の街を汚くしたとしか思えない」
この言葉は、彼が途中で脱大衆へと舵をきった象徴の言葉かもしれない・・。
【TAROの日記】
2013/11/28(木) 08:33
般化
原稿を上げて、ずいぶん経つけれど、出版社から云とも寸とも言ってこないので照会したら、12月発売を延期して3月にするそうだ。
こういう重要な変更を、著者に何も言わないで勝手に決めている・・というのは私の仕事の周辺では、あり得ないことだけど、出版の世界では普通なのかもしれない・・。
時々、他業界と接すると驚くことがあるけれど、それを一番感じるのは私の場合は出版業界だ。
基本的に、いい加減。それは良い意味になるときもあるけれど、基本的には、どうなのか?と疑問に思うことが多い。
私のようなものは、そもそも出版なんてどうでもいい・・と思っているので、重要な変更でも気にはならない。
本日、こんなことを書いているのも、他に書くことがないので、「あーそういえば・・」と思い出して書いているところだけど、人によっては怒る人もいることだろう。
ちなみに、これがリフォーム業だったら、大問題だ。
工期が遅れる・・ということを施主に言わないなんてあり得ない。
ところが、案外、それを言わないダメな営業マンは少なくないらしい。
・・ということは、私は、出版業は・・と思っているけど、その人は・・・と言うのが正解の可能性もあって、たまたま、出版関係でそういう経験が多いのかもしれない。
だから、税理士って・・となる場合も、職人って・・となる場合も全員が全員ということもないだろう。
しかし、人は「般化」をしがちだ。
稼ぐ人は長い財布を持つ・・なんてことを恥ずかしげもなく平気で言い切ってしまう。
そして、私もそれを批判できないのだ。
この傾向が、最近の私は、とくに多い。
それも、50歳代ということについて、「般化」しがちだ。
別に、50歳代なんて、いろいろな人がいる。だから、その一般的イメージは幻想なのだけど、体力の衰えを相対的に感じてしまうので、すぐに妄想がはじまってしまう。
本当は、「特殊」の集まりしかないのにねー
【TAROの日記】
2013/11/27(水) 08:30
ま、いっか・・
妙高山が綺麗だ。
雪が積もった妙高から火打山にかけての稜線の美しさは、ちょっとした表現が不能だ。
この景色が好きで、私は今のところに住んでいる。
東京と新潟に住んだ合計7年を除くと、私はいつもこの景色とともにある。
この景色は、私が死んでも変わらない。ずっと同じだ。
長い月日で見れば、いつか変わっていくのだろうけど、私はそれを見ることはない。
人の命などそんなものだ。
山を眺めていると、そんなミジンコ・レベルの自分の命について考えてしまう。
仏教もユング派も、その他諸々も言う。
自我はない。
そもそも、自我というのは勘違いらしい。
しかし、「私」という時、私=自我だから、理屈でも、「あー、そうなの」とは言いづらい。
人間で居る限り、自我の向こうはわからない。
もちろん、その向こうからはいろいろなお知らせはあるけれど、それを「私」とは思わない。
いつか、山の変化を、そんな「私」が見るのかもしれない。でも、それは、今の私には、「私」ではない・・。
・・・などと思いながら、山を見て通勤。
それでも、通勤途中の景色はずいぶん変わった。
でも、それもすぐに当たり前になっていく。
そんな現実を感じていると、ゆっくり動くプレートの上で、私が「私」をやり通すことが馬鹿らしく思えてくる。
それでも、私は「私」をするしかない。
これもひとつの事実だ。
仮面ライダーにはなれない。
だから、維持は重要だ。
むしろ、だから維持は重要だ。
要は、「ま、いっか・・」という気分だけなのだ・・と通勤しながら思った。
【TAROの日記】
2013/11/26(火) 08:28
腰が痛くて、ちょっと考えた
ここ数日、腰が痛い。
そのため、しゃがめないし、重いものは持てないしで、苦労している。
身体のほんの一箇所が痛いだけで、身体は機能の多くが削がれてしまう。
さらに、こっちの気持ちもめげるから困ったものだ。
こういう時に、「人」というものはトータルシステムなのだと痛感する。
全ての要素が関連しあっていて、ひとつの「人」が成り立っているわけで、健康食品を飲んだからどうのこうの言うのは、かなりズレた思考なのだと思う。
ただ、このトータルシステムは、碁や戦争のように、前線を有機的に動かすことについて、人の知恵の介在は必要がない。「人」のシステムが最初からそういうものを備えていて勝手にやってくれている。
しかし、どんなにシステムが凄くても、どこかの前線に狂いが生じれば、それは他の箇所にも影響を与えることになっている。
そう考えると、戦争で勝ち続けるのが大変なように、人が「人」をしていることも大変なことだと思う。
順調な人生とは、奇跡なのだ。
まして、それを長く続けようと思えば、システムの維持に「人」自身が介在することが必要になて当たり前だ。
さらに、前線を伸ばしすぎてはいけない・・という戦争の鉄則についても、よく考えないといけないように思う。
だから、ある程度、人生の経験を積んだら、後は、選択と集中。そして、システム維持なのだろう。
【TAROの日記】
2013/11/25(月) 08:31
思い出
やっと怒涛の日々が終わり、日常である(なんだか、いつもこんなことを言っている・・)。
まー、日常と言っても一週間ほど。すぐにまた出張だけど、11月は異常だったので、1週間でもうれしいかぎりだ。
出張中に、ポールとトムを見た(こういうのは、相変わらずの出張の楽しみ・・)。
ポールは、ポール・マッカトニーでトムは、トム・ヨークだ。
対照的なライブだったので、一日置きで2つのライブが見れたのは良かった。
対照的だから比べることはできない。ノコギリと包丁を比べるようなものだ。
でも、好みは明解で、忠実にアレンジを守っている音楽よりも、何が出てくるかわからない音楽の方が、わたしには刺激的だった。
懐かしいフレーズは、うれしい。思い出は最大の娯楽だ。しかし、そこには、どうも消費感が伴う。
最近、この思い出の消費感・・というのが、どうにも面白くない。
『夕日の三丁目』に代表される思い出消費は、奥にある大事なものをただの消費に変えいていると思う。
ポールのライブで3曲目に演った『jet』は、私に小学校6年生の頃の景色を一瞬で思い出させたが、二度目はない。私は、思い出の『jet』を消費したのだ。
もちろん、今まで、この曲は、何回も聞いている。最近、再発されたライブ盤でも聞いた。しかし、ポールのライブには、それを越える思い出の消費性が充満していたように思う(そりゃ、本人がやっているのだから当然だ)。
ところで、今の私は思い出が欲しくて仕方ない。
だから、出張を減らして家にいたいと思う。
子供はどんどん大きくなるばかりで、こっちの思い出製造が追いつかない。
仕事をしている私だって、そのうち思い出になるはずなんだが、どうも違うんだよな~と思うのは何か?
人は、根本のところで、つながりを求めていて、家というのはやっぱり特別な存在なのだ。
【TAROの日記】
2013/11/19(火) 08:28
時間
どうも疲れていて、仕事をする気がしない・・と思ってカレンダーを再度確認してみると、ここのところ、まともに家にいないことを再認識・・。
わかっているつもりだったけれど、ちょっと異常であ~~ル。
でぇ、そんなことになっていると、生活のサイクルもグジャグジャになってくる。
そのため、何だか宙に浮いたみたいな変な感じなのだ。
昨日も書いたように、会社周辺の景色まで変わってしまうのだから、落ち着かないったらありゃしない。
ところで、母の死やそれをきっかけにした友人達からの連絡などから、「時間」というものにイラつきはじめた自分がいる。
とにかく、「時間」がもったいないのだ。
ただ、がむしゃらに仕事をする・・ということに「時間」を使っていいのか?
それが疑問に思えてくる。
そういえば、母の死の前に、突然やりたくなったB・コバーンの曲は、最後まで暗譜してできるようになったと思っていたけど、一ヶ月後の今、完全に全部忘れてしまっている。
弾いているうちは楽しいが、あれは何だったのか?
そもそも、この一年、私は何をしていたのか・・?と思えてくる。
今の気分は、仕事をしても、遊んでも、そんな感じだ。
本当は何をしたいのかね?
全ては、代替行為・・というのがわかるような気がする。
しかし。
本日より出張。
&今日はポールマッカートニーである。
さらに、木曜は、アトムス・フォー・ピース。
贅沢過ぎる数日だ。
でも、そんな「時間」の使い方でいいのか?
そう思えてきたから困ったものだ。
さて、本日のポール。
ヒット曲連続のセットリストは、少々億劫だ。
途中で嫌になる可能性もあるけれど、生で聞くのは経験してみたい。
そして、ラストの『ジ・エンド』までのメドレー。
贅沢を言えば、3曲などといわずに、頭からやって欲しいが、ここで涙するのは間違いない。
『ヘルタースケルター』が飛び出すこともわかっている。ここも興奮ものだろう。
でも、セットリストがわかっている・・というのはいいのかね?
サプライズがないのはちょっとなー。
ある面、大事な「時間」の質が落ちることにはなってしまうことは間違いない・・。
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