【TAROの日記】
2013/05/02(木) 08:38
明日から連休だけど、あいかわらず関係ない・・
一応、大型連休らしいけれど、普通に働いている。
毎年の話だから、そんなことはどうでもいい。
我が家の家族も連休というのは家でゆっくりするものと思っている。
ただ、そういう気分な私たちはテレビのニュースの画面にいつも違和感を感じている。
この違和感は、いつ頃からのものなのだろう?
子供の頃は、ニュースを見ていないから、この世に、大型連休などというものがあることさえ知らなかった。
ゴールデンウィークという言葉はいつ知ったんだろう?
中学生くらいでは知っていたような気もするけれど、その実態をわかっていたとは思えない。
「あー、GWが楽しみだー」なんて日本語は、就職するまで使ったことはなかったと思う。
結局、私の違和感の元は、子供時代にある。
子供の頃の我が家にはGWなどなかったから、GWにどこかに行くという習慣はもちろんない。
テレビに出ている遊びに行く人たちは、その逆ということか・・。
いずれにしても、特別、私が仕事で忙しいから、どこにも行かないのではない。そういう習慣なのだ。
GWには、たくさん仕事ができる・・というのが私の習慣で、家族も家でのんびりするのが習慣だ。
ところで、GW頃の日本の田舎は最高だ。
残雪と新緑の中で、自分の気持ちが新鮮になっていくのがわかる。
だから、この環境にいて海外に行こうというのはあり得ない。
そういえば、田舎の人でGWに遊びに行く・・という話は聞いたことがないな・・。
いずれにしても、たっぷり仕事が出来る。
書かなきゃいけない本の構成を練るには最高の時間になりそうだ。
あ、そういえば、今度のバンドの集まりまでに、トラックの打ち込みをしなくてはいけない。
こういうのがやれるという点では、やっぱり休みだ。
休みはいい・・。
【TAROの日記】
2013/05/01(水) 08:30
最後の質問
一人の巨人が逝った・・。
彼の最後に、「何か聞いておくことはないか?」と言われた。
こう言われた時、自分の問いとは何か?と思った。
最後の問いが迫られた時、そこに全ての自分の人格が畳み込まれると思った。
そして、結局、何も問えなかった。
「結局、おまえはそれを選んだか?」と言われた気がした。
今は、何でもよいから問えばよかったと思う。
それも、どうしようもない、業の塊でしかない私そのものを問えばよかったと思う。
人は残して死んでいく・・と言う。
私は嘘だと思った。
人は、多くのものを持ったまま死んでいく。
もちろん、、多くのものを残してもらったから、その一部で自分もある・・とは思う。
しかし、あまりにも多くのもの持って逝ってしまった。
その持っていったものを引っ張りだすほどには、こちらの成長が追いつかなかった。
なんと悔しいことだろう。なんと悔しいことだろう。
談志が死んだ後、その弟子たちの成長度には差が現れはじめた。
半年も経てば、それは歴然となった。
私は最後に問えなかったが、とても大きな問いを残された気分でいっぱいだ。
人の死とは何なんだろう・・・・・・・・・・。
【TAROの日記】
2013/04/30(火) 08:35
あらためて田舎
どうも、都会人の田舎に対する憧れが鼻につく。
どうしてかは、そこらじゅうで語らえれていると思うけど、まー、本当の苦労を知らない・・ということに尽きる。
もちろん、観光で来ている人に、とやかく言っても仕方がない。
どうぞ、楽しんでいってね!ということでいいのだ。
しかし、その観光客の一挙手一投足の知らなさすぎ加減が、地元の者には、あー、あーという気分を呼び起こす。
昨日も、新潟県の某僻地で、地元のおじさん、おばさんとそんな話で盛り上がった。
彼らは、都会の人が遊びに来るから生活が成り立っている。
本当は、裏方として、それを享受すべきなのだが、私を含めた田舎人の曲がった根性は、批判的に考えてしまうのである。
田舎の美しさは、地元の人たちのたくさんの手間ではじめて成り立つ。
都会も同様で、都会の整然さも誰かの手間で成り立つ。
ただ、都会は分業ができているけど、田舎では、ぜーーんぶ自分でやらねばならない。
そこんところが、こういう気分の原因だ。
これから、田舎は、雑草との戦いがはじまる。
「あーー、きれいーー!」どころではない。
都会の人が「きれいーー」と山で取ってきたスギの葉も、我が家では、根性悪なゴミにしか見えない。
ただ、それでも、田舎の春は最高だ。
昨日行った某僻地では、感動的に太いゼンマイが所々にあった。
すでに、一度、メスを取った後のものなのか、オスだけが大きく太く伸びていた。
下から新たに出てきていたメスを取りたくて、ヨダレが出たけれど、大袋いっぱいに取るには、1時間くらいかかると思ってやめた。
本日、朝、そのゼンマイが夢に出てきた。
見つけたものは、取らねばならぬ。
きっと、今度の休みの一日は、あの場所に戻ってたっぷりゼンマイを取ることになりそうだ。
4日もあると伸びてしまうけど、まだまだたくさんあると見た・・。
ただ、ゼンマイを取った後の始末は大変だ。
綿を取って、干す。そして、手で揉みながら数日間干すことを続ける。
簡単には、口には入らない。
田舎者は、こうした行為の一連性の中のプロセスカットに異様な違和感を覚えるのだと思う。
プロセスカットという交換システムが人間の世の中を発展させたわけだけど、田舎のような副交換システムは、交換システム的なものと本来対立するものだ。
でも、田舎の副交換システムを全体システムで求めたら、そこには発見も多いし、とてつもないエネルギー変換があると思う。
そこで、私は一考した。
それは、別の所で・・・・・・・・・・。
【TAROの日記】
2013/04/26(金) 08:34
百姓
百姓という言葉が昔から好きだ。
どうして好きかは明らかで、自分のできることがあんまりないから。
自分の周辺のことが自分で何でもできる人には憧れる。
20代の前半に、山の奥の鉱泉の湯口を掘りにいったことがある。
剣スコを持って、昔湯口があったという場所へ行き、地面に剣スコを突き刺すのだけど、全然地面に剣スコが入っていかない。
ところが、一緒に行った10歳くらい上の人(@専業農家)が、ラクラクと掘っていく。
それを見て、とても憧れた思い出がある。
私は、元山屋なので、ロープを結ぶとか崖を降りるとか・・・・まーそういういろいろなことがひと通りできる奴だけど、本当のお百姓さんにはかなわない。
百の姓とはよく表現したものだと若い頃から尊敬のまなざして思っている。
最近、ネットを見ていると、そういう百の姓とは言わないまでも、特殊な特技を持つ人が副業で稼いでいるのを見て感心する。
一時流行った週末起業なんてのはバカバカしい勘違いだけど、小さく特技をお金にかえていくのは面白い。
私も本日、ギターアンプを修理に出すけれど、修理をしてもらうのは、メーカーに勤めながら楽器を愛している一般人。
ホームページもチープで、小遣い稼ぎ然とした体裁がかわいらしい。
こういう人に、私は憧れの百姓を見る。
ネットは基本的に嫌いだけど、なんだかこういうのはいい・・。
【TAROの日記】
2013/04/25(木) 08:30
偶発的
現在、いろいろと自分なりに描いてきたベクトルに、偶発的事象が起きている。
まー、一言で言うと、いろんなことが変更を余儀なくされているわけだが、心の何処かで、「偶発的とは、本当に偶発なのか?」という疑問がある。実は、すべてがビルトインされていて、余儀なくされている変更も、実は想定内なのではないか・・?と思えて仕方がない。
実は、いつも、潜在的な本当の思いを奥底に隠しながら、自らを騙し、生きている・・と思うのだ。
この考えは、別に新しい考えでも、突飛な考えでもない。
メニンジャーの研究はここら辺にあった。
その古き研究を私自身が実感したというだけである。
「偶発的創造戦略」とは、言葉にすると、かっこいいが、私が感じているこの気分を前向きな言葉にしただけのものだと思う。
確かに、偶発的事象から私は私を発見し、なにかの創造の模索をはじめている。
また、周辺情報の更新も進んでいる。
世の中では、偶発的を事件にしたがるが、事実の発見でしかない。
だから、創造的なのだ。
・・・・続きは、メルマか何かで書こうと思う。
【TAROの日記】
2013/04/24(水) 08:27
死ぬまでの分
知り合いに、死ぬまでの分の真空管を持っている人がいる。
それも、計算通りにいかなくて途中でなくなったらどうしよーと思っているらしく、その使い方もリーズナブルだ。
私にはわからないけれど、50年代~80年代、もっと贅沢を言えば50年代~60年代のヴィンテージの真空管の音を知っている人は、最早、現在の真空管は使えないらしい。
音のモデリングが普通になってしまった21世紀には信じられない話のようにも聞こえるが、本物を知っている人たちには、モデリングされた音など論外なのだ。
そういう凄い人にはかなわないけれど、私も自分のオーディオセットが死ぬまで持つか心配だったりする。
・・・というか持たない。おそらく、後10年で壊れていくと思われる。
そうすると、音は記憶の彼方。思い出の一つになっていく。
日常のいろんなことが、ドンドン過ぎていっても気にならないというのに、このことについては結構恐怖を感じる。
いま聽いている音がなくなったら、どうするんだぁ?と少し思う。
実際にそうなれば、適当に妥協するのはみえている。人は慣れる。
しかし、あーあ、昔の音は良かった・・・などとはあまり言いたくない。
音の話は極端だ。真空管やオーディオの部品を確保しているというのも特殊だ。でも、私たちには、「譲れないないなー」というのがなにかしらある。
これだけは、死ぬまでこのままで・・というものだ。
私には、すぐに思いつくものがある。
お茶である。
私は子供の頃から、ある店のお茶を飲んでいる。
そして、今もそれを飲んでこのブログを書いている。
なぜか離せないのだ。
店は途中で味を変えている可能性もあるわけだが、私はこのお茶でないとダメになっている。
もちろん、お茶のことなど忘れ、何年も生活をしていたこともあった。
しかし、一度、このお茶に復帰したら、これでないとダメ。
別に、熱烈に好き・・ということではないけれど、このお茶がなくなったら、かなり悲しいだろう。
でも、このお茶屋がずっと続く保証はない。
だから、本当は今だけのお楽しみなのだ。
無常というのを、無情と思っている日本人が多いと小林秀雄も亀井勝一郎も言った。
無常と無情は違うのよ!とも言った。
でも、無情だよなーと思う。
そうえいば、最近のチャリンコ大衆化の中で、チューブラーもなくなっていってしまったけれど、あの走りの味って忘れられないなー。
70年代のミシュランのチューブラーとか冷蔵庫に入れて保管できなかったのかなーなどと思う。
もちろん、今のWOのタイヤの方が性能はいいとは思うけれど、そんなんじゃない味ってのはやっぱり大事なのだ。
アイデンティテイーとは、そんな周辺のことどもの喪失の流れのことを言うのかもな~なんて朝から考えてしまった・・。
【TAROの日記】
2013/04/23(火) 08:27
電気
最近、電気的なことがいろいろ悩みとなって降ってくる。
そのうえに、昨日読んでいた雑誌の真髄部分も、あのよくわからない電気の図面が理解できないとまったく意味のないものになってしまって困った。
直近の悩みは、チューブアンプの音が小さくなちゃったことで、対応が真空管を交換すればいいことくらいはわかるけど、どの真空管に変えればいいかで困ってしまっていたりする。
さらに、オーディオ機器の悩み話を詳しい人に聞けば、わけのわからん製品を雨あられのように紹介され,それぞれの機器の意味さえわからないので、理解できない自分に腹が立つ。
どうして、50歳を超えた今、こういうわけのわからないことが集中的に、私の周りを支配するのか?
今更ながら、子供の頃、ラジオ小僧だったら・・と思うのだった。
病~出張・・・となかなか通常の調子に戻れなかったのが、昨日、久しぶりに新潟の事務所に行くと、とてもパワーが溢れてきたのだけど、んーーーーーーー、周辺の電気的悩みで元気がなくなりそうだ・・。
【TAROの日記】
2013/04/22(月) 08:39
そうか、4月3日以来か・・
4月3日は、インフルエンザに罹っていることも知らずに出勤。
このブログを書いて、社内会議をやって、それからバタンキュー。
そのまま寝込んで自力で直して、回復はしたものの体力が落ちたまま合宿セミナー(体重が60kg代になっていた・・)。
そして、そのまんま東京出張のところを予定変更して、家に戻り、でも翌日には、やっぱり東京出張で、そのまんま1週間バタバタして、新潟に帰還。
なんだか4月は短かったな~と過去形の言葉が口から出るくらいに、時間がワープした感じなのだった。
しかし、この数日は、繭に入っていたような感じで、今、とても気分がエキサイティング。単なる躁かもしれないけれど、だいぶやる気になっている。
書きたくなかった本も、書く気になってきて、おそらくゴールデンウィークには書きはじめる予定。
病気と出張にも、意味があるのだ・・と思うのだった。
【TAROの日記】
2013/04/03(水) 08:46
子供に読書命令
東京で仕事を続け、一日だけバンド遊びをした足で家族サービスの3日間だった。
今年の家族サービスは、奈良、京都。
一番下の子でも高校1年生にもなると、親と一緒に寺などを見て楽しんでいるのは意外だったし、そもそも何の話もしていないのに彼らのの好みが父と一緒なのにも驚いた。
さらに、季節的に大込みの京都で、弥勒菩薩半跏思惟像がある広隆寺がガラガラなのも意外だった。
オカモト家的には、この弥勒が見たいものの一番くらいだというのに、世間様的には違うのか?
何か理由がありそうで、そこんところを知りたくなった。
薬師寺の東塔が工事に入っていたのは残念だった。
薬師寺については、子どもたちの守備範囲には当然のごとくなかったようで、彼らが薬師寺が一番良かったと言っているのはうれしかった。
バカ親は、帰ってから西岡さんの本を三冊購入。彼らに読書命令。本当にバカである。
ちなみに、命令本の一つには、『百億の昼と千億の夜』も入れた。
こういうところは、まだかわいいでしょ?
【TAROの日記】
2013/03/25(月) 08:28
離脱その後
こんにちは、ソフトバンク嫌いのオカモトです。
いやー、参りました。
ソフトバンクのLTEは、うちの村の一部でも入ります。
旧市内にいたっては全部網羅されているかもしれません。
いつの間に、こんなにインフラの整備が進んじゃったのでしょう?
単純に感動すべきところですが、私には、神聖ローマ帝国がなくなっちゃったせいで、突然、過剰反応したドイツや海外の状況に過剰反応してしまった日本の過去が思い起こされて仕方ありません。
もちろん、劣っていた電波の問題を改善することは、「ねばらない」ことだし、その効果も上がっているのは間違いないし、ユーザーにはありがたいことなのです。
でも、なんか変な気分なのは、きっと偏見ですね。
来月くらいには、関東方面で例の買収の効果も出てくるようですし、さらに便利になりそうです。
しかし、思ったよりもLTEが早くないのはどういうことでしょ?
ソフトバンクは早いよーと聞いていましたが、私には、ドコモの初体験の方が早かったです。それも圧倒的に・・。
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