【TAROの日記】

2013/04/30(火) 08:35

あらためて田舎

どうも、都会人の田舎に対する憧れが鼻につく。
どうしてかは、そこらじゅうで語らえれていると思うけど、まー、本当の苦労を知らない・・ということに尽きる。

もちろん、観光で来ている人に、とやかく言っても仕方がない。
どうぞ、楽しんでいってね!ということでいいのだ。
しかし、その観光客の一挙手一投足の知らなさすぎ加減が、地元の者には、あー、あーという気分を呼び起こす。

昨日も、新潟県の某僻地で、地元のおじさん、おばさんとそんな話で盛り上がった。
彼らは、都会の人が遊びに来るから生活が成り立っている。
本当は、裏方として、それを享受すべきなのだが、私を含めた田舎人の曲がった根性は、批判的に考えてしまうのである。

田舎の美しさは、地元の人たちのたくさんの手間ではじめて成り立つ。
都会も同様で、都会の整然さも誰かの手間で成り立つ。
ただ、都会は分業ができているけど、田舎では、ぜーーんぶ自分でやらねばならない。

そこんところが、こういう気分の原因だ。

これから、田舎は、雑草との戦いがはじまる。
「あーー、きれいーー!」どころではない。
都会の人が「きれいーー」と山で取ってきたスギの葉も、我が家では、根性悪なゴミにしか見えない。

ただ、それでも、田舎の春は最高だ。
昨日行った某僻地では、感動的に太いゼンマイが所々にあった。
すでに、一度、メスを取った後のものなのか、オスだけが大きく太く伸びていた。
下から新たに出てきていたメスを取りたくて、ヨダレが出たけれど、大袋いっぱいに取るには、1時間くらいかかると思ってやめた。

本日、朝、そのゼンマイが夢に出てきた。
見つけたものは、取らねばならぬ。
きっと、今度の休みの一日は、あの場所に戻ってたっぷりゼンマイを取ることになりそうだ。
4日もあると伸びてしまうけど、まだまだたくさんあると見た・・。

ただ、ゼンマイを取った後の始末は大変だ。
綿を取って、干す。そして、手で揉みながら数日間干すことを続ける。
簡単には、口には入らない。

田舎者は、こうした行為の一連性の中のプロセスカットに異様な違和感を覚えるのだと思う。
プロセスカットという交換システムが人間の世の中を発展させたわけだけど、田舎のような副交換システムは、交換システム的なものと本来対立するものだ。

でも、田舎の副交換システムを全体システムで求めたら、そこには発見も多いし、とてつもないエネルギー変換があると思う。

そこで、私は一考した。

それは、別の所で・・・・・・・・・・。

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