2011/05/13(金) 08:40
えー、昨日の続きを・・。
昨日、「7年後に、武田勝頼は滅んだ」と書きましたが、
あえて、もう一文は書きませんでした。
その文章は、もちろん、
「そして、その数ヶ月後に、織田信長は滅んだ」
ですね。
織田帝国が、一気に、大きくなったとき、
織田信長は殺されることになりました。
領地が大きくなり、身近には、あまり人がいないという
間隙を突かれたというわけです。
織田信長は、かなり慎重な人だったようで、
結構時間をかけて、じっくりと調略などを行う人だったようですが、
7年もかけてやったことが、完成した途端・・・ですからね~。
でも、この姿ってのは、とても気になる姿の一つです。
早急にやったら、危ない。
でも、じっくりやったからと言って、成功が約束されているわけでもない。
・・ってことですもんね。
ナポレオンのようにやっても、
織田信長のようにやっても・・
ということは、結局、どっちでもいい・・と言えるかもしれません。
でも、個人的には、織田的手法の方が正しいと思っています。
だから、あえて、「どっちも同じ・・」とは思わないで考えてみると、
どちらも外的要因の【変化】の読みが、一手少なかったということに行き着きます。(・・とは言うものの、ナポレオンは何手も少なかったかな・・)。
結局、長期戦をじっくりと戦ってきても、
変化に敏感でないとダメなんだよな。
それも長期戦を制するほど、外的要因の見方が甘くなるかも・・。
これも50歳になる自分のテーマだな~。
織田信長のセオリーに徹し、突き詰めるやり方。そして、基本は長期戦という姿勢は大好きゆえに、
滅びの部分についてはいろいろ考えたいですね。
殺した人が死んでしまって、資料が少ないですけど、ここら辺のことを詳しく調べてみたいな~と思っています。
岡本先生発言の「ビジネスは缶蹴りに似ている。」ですね!!缶からはなれないと儲からない、近くにいれば安全だけど会社が萎んでゆく。