2012/05/28(月) 08:37
やーーーーーーっと帰ってきた。
5月は、ほとんど家にいない。
明後日には、再び東京である。
なんだか、いつも似たようなことを言っているけれど、この怒濤のような仕事の反復の中で、微妙な変化はある。
一言で言うと、とても疲れる・・ということ。
マラソンの途中で息が上がりそうになるような現象が時々起こる。
マラソンのように、そこから復活してゴールとなるならいいけれど、仕事ではそのまま疲れてゴール。そして、バタンキュー。
頭の回転も確実に遅くなっているようで、移動時間の仕事がまったくできない。
やってはみるものの頭が働かないのだった。
・・・と書いていると、晩年の談志家元のマンマだな。
高座に上がると、彼はグチからはじめた。
睡眠薬をビールで飲む話を毎回聞かされながら、別に、「毎回同じ話するなよ・・」と思うこともなかったな。
しかし、このブログで同じ事をやっているのはひんしゅくものだろう。いくら読んでいる人は少ないとはいえ、それでもアップしているのだから、誰かが読んでいる。
ところが、書くことなんて似たようなことになる。
その理由は、簡単で、こういうものを書くのは一人作業だから。ここがセミナーなどとは違う。
私のセミナーは同じタイトルでも内容がかなりかわる。それは、参加者が違うから。そして、その環境の違いが私の中に変化を起こし、毎々、底流に流れるテーマが変わる。
「そんなんでいいのか」という意見もあるとは思うが、私にはそれしかできないし、それが誠意だと思っている。
ところが、こういうところでの独り言では、そういうことは起きない。
そして、晩年の談志みたいな枕話とあいなる。
まー、昨年行った『なんちゃって自己啓発セミナー』でも、テーマの一つにしたように、私たちは、ロボットみたいなものだ
誰かにプログラムされたままに、周期的に動く。そんな存在でしかない。
ここら辺のことは、押井守は映画『イノセンス』で、そして長塚圭史は舞台『アンチクロックズドワンダーランド』で挑戦したテーマだ。
ただ、彼らがそのテーマで入れ込まなかったことがあると思う。
それは、私たちには、アンインストールをする余地があるということ。
ここも、『なんちゃって自己啓発セミナー』のテーマの一つだった。
実は、インストールよりもアンインストールの方が重要なのだ。
晩年のオカモトというのが存在するとすれば、そのオカモトの作業は、そこだろう。
もちろん、今までも意識的だったけれど、それがさらに意識化されることは間違いない。
アンインストールには、時間という要素がかなり大きな要素になる。
時間と意志が変数と言い切っても良いか?
しかし、昨日は、疲れてフニャフニャしていたら、結局、酒を飲んでしまった。
どうしても、インストールが優先するのは性だな~。
ここんところもアンインストールしないとね。
まいど意味が有りそうな、無さそうな、話し、とっても楽しみにしてます。
まいど意味が有りそうな、無さそうな、話し、とっても楽しみにしてます。