【苦しめTAROお仕事LIVE】

2012/06/13(水) 08:22

聞こえない音

ここのところ、ワチャワチャしたリビングで、マックの圧縮音源を聞きながら、仕事・・というのが定着していた。

一応、”書斎”というものがあるけれど、だんだん、物置になっていく。特に、昨年、本の整理をしたもので、”書斎”は、本の箱の山となっていた。”書斎”は男の憧れだけど、現実は、物置なのだよ!!
そんなわけで、今年は、”書斎”を昨日まで使うことがなかった(なんと、もったいない話なのか・・)。

ところが、昨日、ひょんなことから、妻に”書斎”の整理をしてもらうことができて、突然使えることになった。
それで、仕事を持ち込み、ターンテーブルにレコードをのせ、久しぶりに豊かな音を聞きながら仕事。んー、はかどり方が全然違う・・。

圧縮音源の貧相な音と、ステレオセットから出される音の違いは、比べるものでもないほど。倍音豊かなステレオの音に身を委ねていると、こっちの気分も豊かになる。

考えてみると、日本経済の乗数効果が目を覆うほどに減ってしまったのは、私たちが圧縮音源で音楽を聴くようになり倍音の豊かさを知らなくなったのとほぼ同時だったりする。

世の中ってのは、実は、聞こえていない音とか見えていないもの、ムダなものに、ひじょーーーーーーに価値があったりするものだけど、こうした価値ほどわからん人はわからない・・ということになっている。

冗談だけど、美空ひばりやヌスラットの死も、この件に関して、絡んでいるかもしれない。
そして、田中角栄の非整数倍音も絡んでいるかもしれない・・(くどいけど、冗談だよ)。

戦後日本の貧相さは、いつの時代でもテーマだ。
まー、古いテーマであり、繰り返しのテーマでしかない。
しかし、この全体的な貧相さって何なんだろう?
三島由紀夫が死んで、40年近くも経つのに、どういうことなんだー!と思いながら、まー、仕事が進んだから良いのだ。・・・て思う当たりに、貧相さが付着してるんだろうな・・。

「聞こえない音」へのコメント(2件)
  1. 「豊かさと引き換えに」というヤツに、囲まれて生きていると、余韻が強いものとか、匂いたつものに出会うといっきにハマってしまう傾向があります。ちょっと危険な気もしますが、同時に自分の五感の中に、それを感じとろうする感覚が存在していることに安心したりします。

  2. 「豊かさと引き換えに」というヤツに、囲まれて生きていると、余韻が強いものとか、匂いたつものに出会うといっきにハマってしまう傾向があります。ちょっと危険な気もしますが、同時に自分の五感の中に、それを感じとろうする感覚が存在していることに安心したりします。

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