【苦しめTAROお仕事LIVE】

2013/05/23(木) 08:36

ベンサムの計算

ベンサムは、「快楽と苦痛は数学的に計算可能」と言った。
さらに、道徳や立法さえも快楽計算で決定されると言った。

では、ベンサムを信じて「計算してみよー」と考えると、多くの人間は計算そのものを誤ってしまうということに気づく。
計算ミスばかりではない。方程式そのものの選択を誤ることはさらに多い。

・・・というようなことを昔、『週刊 岡本吏郎』でも書いたことがあったような気がする。

今、近所で、とんでもなくバカな功利計算をしている若者がいて、彼の方程式選択の過ちに驚いている。
私はかなり彼を過大評価していたようだ。

ただ、この方程式の選択間違いというのは、もしかしたら教育というもので何とかなるものではないのかもしれない。
今、そういう動きを目にしてそう思う。

また、こんなことも思う。
功利計算の多くの解は、「ぐっと我慢」という入り口が重要なことが多いが、私の過去の「ぐっと我慢」は馬鹿らしいことだったのか?

何のてらいもなく、方程式を間違う現実を見ると、まーそう思えても仕方がない。

さて、功利計算で最も大きい変数は時間だ。
しかし、人は時間を待てない。
そして誤る。

そもそも人生は短い。
待ってられない。
でも、短い人生の時間を長く感じさせるのは、時間を変数ととらえることができる場面だけだと思う。

どういう時間を過ごすか?
という問いは高級かもしれない。
目先で困っていたら、こんな問いは出ないかもしれない。
でも、私達が人生をまっとうに過ごそうと考えたら、この問いが最初に立って当然ではないか。

昔、サラリーマンを辞めた時やその他いろいろな場面で、たくさん我慢したことを思い出しながら、そんなことを考えた。

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