【TAROの日記】
2016/09/07(水) 08:34
コールトレーン
コールトレーン・・・と言われて、凍てついた・・。
何のことかわからん。
call train?
汽車なんて呼べないだろ・・。
でぇー、少し経ったらピンときた。
コルトレーンのことだ。
誰が、コルトレーンと呼んじゃったのかわからないが、カタカナ英語には問題が多い。
マイルスだってマイルズらしいし、ポール・マッカトニーだってポール・マカートニーじゃないと通じない。
この間、ギリシアに行ったけど、アテネなんてどこにもない。アッヘンズである。
ウィーンはヴィエナでしょ。
どうして、ウィーン少年合唱団なんだ?
これは知らないよりも問題が多い。
アテネなんて一生行けないかもしれない。
だいたい、仮に外人と話すことがあるとして、私にできることは好きな音楽の話くらいである(なぜか、音楽の話だと、聞こえるし、話せる・・)。
しかし、ミュージシャンの名前が通じないんじゃどうにもならない。
どうして、ちゃんと現地の発音にしなかったのかはわからないが、この国は毛沢東を「モウタクトウ」と読む唯一の国だから、全部そういうノリなのかもしれないし、そもそも精神的な鎖国が続いているからかもしれない。
何も工夫などいらない。聞こえるとおりにカタカナにすればいいのに、どうなっているのか?
なぜに、アテネでウィーンでドイツなのか?
・・とここまで書きながら思った。
アッヘンズがアテネになるのは相当意図的だ。
ジャーマンがドイツもそう。
そして、どうしてそうなっちゃったのかには何らかの意味があるはずなのだ。
そして、その理由を知りたくなる。
デレク&ザ・ドミノーズがデレク&ドミノスになっちゃったり、ザ・マンキーズがザ・モンキーズになっちゃうのは、単なる日本人の癖が出ちゃっただけだろうが、ジャーマンソーセージをドイツソーセージと言わないのだから、意地でもドイツって呼ぶのはなにか意味があると思えて仕方ない。
いずれにして、本来の音に変えるのは大変だ。
今まで、コルトレーンって言ってたのに、コールトレーンって案外言えないのだよ。やっぱり、call trainって文字が浮かんじゃうからね・・。
【TAROの日記】
2016/09/06(火) 08:30
不動産本
相変わらず不動産投資本がたくさん出回っている。
今日も新聞を読んでいると、不動産投資本の大きな広告。
私は、反射的に、この広告に反応する人がかわいそうだなーという感情が湧いてしまった。
別に本をけなしたいわけではない。だいたい読んでないし、読むこともない。
どうも、そそるタイトルを見て、「こういうのに人は反応するんだな~」と思いつつ、「でも、反応する人ってかわいそうな人たちだよな」などと急に気分がわきあがってきてしまったのだ。
世の中には、必要なものと必要じゃないものがある。
そして、それは人によって違う。
例えば、新興宗教は一般的には必要なものではない。
でも、必要な人もいる。
こういう話はすぐに騙した騙されたの話になりやすいが、そうではない。需要と供給である。今村昌平は『日本昆虫記』の中でさりげなくそれを示していくれている。
さらに極端に言うならば、相当デタラメなことにだって、不思議と需要はあるものだ。
この話、これ以上話を進めていくと、どこかからパッシング的なものが降ってきそうなのでやめておくけれど、広告を見てじんわりと粛々と「かわいそうだなー」という気持ちが湧き上がってきたことは事実で、それは私の思想とか考えとかとどこかで関連しているのだとは思うけど、結構自然に感情的にこみ上げたのだった。
ところで、そういう本はどういう人が必要としているのだろうか?
当然、不動産の専門家ではない。
不動産の知識がゼロの人でもない。
まー、その真中ということになる。
あ、これもこれ以上話を進めると、何か降ってきそうなのでやめておこう。
・・こうして、ネットにはあまり良識的な意見というのは載らないようになっている・・なんて書くと、さらに、「おまえは、自分は良識的と思っているのか!」などとやられ、そんなことを言ってくる人に、リベラルアーツの話から始めていたら日が暮れて、何を言おうと、結局、常識ってなんだ!ってところで話は行き詰まるので、まー、どうでもいい。
ここは、「世の中ってのは、かわいそうだなーと思われている行為が案外多い」というところで、まとめておこう。
追伸
以前、近くのリゾートホテルで、おじさんが若いビキニの女の子とジャグジーに入っているのを見た(この間、鰻屋でも似たようなのを見た)。
それを見た私は、かわいそうだなーという気持ちが湧いてきたけれど、でも、おじさんは楽しいはずで、かわいそうだなーなんて他人が思うのはどうでもよいに決まっている。
んー、おれは、実にどうでもいいことを書いているんだな~と反省している。何も書くことなくて変なこと書いちゃったなー。
ところで、そのおじさん。きっと今のオレくらいの年齢?おじさんをおじさんと言うおじさんも、かわいそうな存在だわ・・。
【TAROの日記】
2016/09/05(月) 08:34
時が経てばわかる
Time will tell.
英語でも、やっぱりこういう表現なのか・・と笑った。
この言葉は、このまま戦略論と言えるが、あんまり念頭に置く人は多くない。
人は、刹那である。
逆かもしれない。
多くの人が刹那だから、この戦略が使える・・とも言える。
毎度のことだが、みんなが利口では競争が激しくてたまらない。
競争っていうのは、昔からそれほど変わっているものではない。
「厳しい、厳しい」というけれど、”競争度”というのはそれぞれのフィールドで決っている。
それは、市場参加者の利口度および北朝鮮度の変数と言ってもいいだろう(言葉の説明は、あえてしませんのでご容赦を)。
しかし、アメリカの生産性が落ちている・・という論もあるように、私たちはとんでもなく辛い環境化にいる。
専門家の間では、生産性が落ちている件について、いろいろYESとNOが煙をまいているけれど、なんてことはないと思う。課題が複雑になっている・・という話だろう。
生産性は、上がっている。でも、課題はどんどん複雑になっている。だから、現在の生産性程度では、追いつけなくて、結論、生産性は下がる。
でも、そうだということは、克服は近いということではないか?
近いという時間感覚は、私の人生で見ると長い(遠い)となってしまうけど、おそらく近いのだ。
課題はさらに難しくなっていく。
刹那の集まりゆえに、競争なんてたるいものでしかない・・のだけど、課題の変化が私たちを苦しめる。
そして、そんな時もTime will tell.である。
just wait and seeな秋だなー。
【TAROの日記】
2016/08/29(月) 08:30
TEDっていいのか・・?
時々、『TED』を見ている。
そもそもは、英語のレッスンで強制的に見せられたのがはじまりで、強制的に見せられたもの数本+ちょっと自分で見てみました数本程度なので、”見ている”という表現は言い過ぎでは・・ある。
さらに、私が自主的に『TED』を見ることは今後ないと思われるので、”見たことがある”という表現が正しいだろう。
私の初『TED』の印象はかなり悪い。そして、その後、その悪い印象は変わっていない。
初『TED』で私はスグに思った。
「おそらく、はじまった当初はよかったのだろう・・・」
私が初めて見たものはネット業界で知らない人はいないという人物のもので、その頭の良さには私も恐れ入っている。
しかし、彼のスピーチは、ダメだった。単なる”ため”のもの。画面に映る聞き手は喜んで聞いているように見えるが、私はこんなのを見るほどの暇はない。
そして数本見てみると、その底の浅さが日本のビジネス本周辺の軽さと通底しているように思えてくる。
ビジネス書にも時々良い物があるように、この意味のない発表ゴッコにも、「お!」と思うものは時にあるのだと思うが、相手は英語。私には、こんな程度のスピーチを聞くために労力を割くモチベーションはない(英語のレッスンは別ね)。
まー、アメリカ人の「発表ゴッコ」は好きにやってもらえばいいだけの話でどうでもいい。
おそらく、アメリカ人だって、こんな「発表ゴッコ」に誰もが感激しているわけではなかろう。
しかし、付和雷同型日本人の態度には本当に嫌悪するね。
日本版「発表ゴッコ」も世間ではいろいろあると聞くけど、暇なのか、承認欲求が恥ずかしげもなく大きいのか、時代を変えよう教の教祖にでもなろうというのか・・。
昨日、日本赤軍の一連の事件がテレビで放映されていた。
後年、あの事件の中身を知った私たちは、その幼稚さに驚くわけだが(昨日の放映は、そこのところがちゃんと描かれていなくて、あれはあれで幼稚なんじゃないか・・と思いつつ、テレビなんてそんなものだから言うだけ野暮)、世の中で「ムーブメント」とされるものが起こると、その背景には、常に、幼稚さが見え隠れしていると思う。
私も幼稚な人間と自覚しているので、別に人の幼稚を蔑む気はない。
しかし、幼稚さってのが、つまらない看板をたてるとロクなことにはならない。
看板なんて下げて、ただ裸踊りをしていればいいのである。
それが正しい幼稚さだ。
『TED』だって、中学生の文集レベルと認識すれば、何の問題もない。
中学生の文集には、年に似合わず、若干のアオい香りを伴いつつも完成度の高いことを書く子もいる。
私もそんな文章(=スピーチ)なら聞いてみたい。
幼いガキの幼稚なアウトプットの集合の中でピカッと光る、そんなのがあったら教えて下さい。『TED』の印象が変わるかも?
【TAROの日記】
2016/08/17(水) 08:37
どうも歯車が狂ってきた・・?
6日間も休みとは・・と少し怒っていたけど、連休中に身体を壊したのでちょうどよかった。
ちなみに、当社の休みの決定に私は関与していないので、いつも休みの近くにならないと何にも知らない・・。
今年も、猪突猛進は続くうえに、遊びも連続していたので、休みで気が抜けて今までのツケが出たのだろう。
おかげで、連休中はまったく仕事をしなかったので、今日から地獄のうえに、今年も2年ぶりにサマソニにも行くので、せっかくの体調調整も意味がなくなってしまうかもしれない。
しかし、どうして、ギター持ってテント泊、それもテントは張ってあるので楽ちんという理由だけで、サマソニに行くことになったのか?
正直、真夜中のイベント以外見るものはない(ただし、この真夜中のイベントは内容濃いわ・・)。
もちろん、レディオヘッドは楽しみだけど、2日もいる必要なんてどこにあるのか?
・・・という疑問を持ちつつ、勢いだけで行くことになってしまった。
1日目に徹夜して、後は木陰で寝て、最後にレディオヘッド見て帰ってくることになるかもしれない。
さらに、左手が腱鞘炎になった。
とてもタイミングが悪い。
現在、パソコンも打ちたくない気分だったりする。
とりあえず、ピアノの練習はやめた。ギターは騙し騙しやっている。そして、そんな日が1週間以上続いているので気分が悪い。
・・・それ以外にもいろいろあって、現在は、「あーやっちゃったなー」という時のようである。
まー、精算はせねばならないので、動きながらじっと耐えようと思う。
身体の調子も戻っているわけではない(年取ったよな・・)。
さて、粛々と、元に戻していきますかね・・。
【TAROの日記】
2016/08/09(火) 08:30
『しくじり先生』で考えた
なんとなくTVを見ていたら、『しくじり先生』という番組がやっていた。
3時間の特番ということで、登場した3人の”しくじり”を見入ってしまった。
人間というのは、他人の”しくじり”はもちろん好き。さらに、ゴシップ的なものもとても好きだから、この2つが組み合わった商品は強烈だ。
“しくじり”の内容を見ていると、これがあまりにも典型的。
失敗の方法は、だいたい同じ・・ということを再認識させられると同時に、これが全然他人事ではない。
よーーーーーーく考えてみると、昨日の登場人物がやってしまったことは、私だって大なり小なりやっていて、それも現在進行形だと思った。
登場人物ほどに驕っているわけではないから、それほど極端な結果にはならないにしても、”それ”はある。
そういう面で、ちょっと身につまされるところもあった。
ところで、最近、目を中心に、身体のパーツの不具合が多発していて、どうにも労働意欲が出ない。
私のモットーは、毎日コツコツだけど、そのコツコツを体が阻む。
今までの王道の勝ちパターンをうまく使いこなせなくなってきたわけで、これにはとても困っている。
昨日の番組を見ていると、世の中は結局、「努力の競争」と「依存力」という2つの変数から成り立っていることが明解だ。
だから、努力をやめるわけにはいかない。
しかし、それがままならない・・という次元に入ったのはまいった。
昨日、ある医者が書いた腱鞘炎の本をオーダーした。
対応策は、一つ一つ学んで、自分なりのやり方を確立するしかない。
なんたって、身体については専門家でさえ答えをもっていないのだから・・。
そんな気分で買ってみた。
あらゆるジャンルで人間が踏み込んだ領域そのものがそういうところにある・・とも言えるから、ある面、私たちは人体実験中とも言える。変数に、「人体実験度」というのが加わったんだだろうな・・。
【TAROの日記】
2016/08/08(月) 08:38
長岡花火
Workには、作品の意味もある。
なるほどー、そうですね。
大閑道人さんからのご指摘をいただいて、この件は英語の方がカッコいいなと思いました。
前回、fireを利用して、英単語の意味の多様性を遊んでおきながら、これに気づかぬとは・・・。
a part time jobとは言うけど、a part time workとはきっと言わないのかな?
そもそも、仕事と作品が同義というのが、いいですよね。
日本人は、これを言葉では分けちゃっているわけですもんね。
ところで、その”作品”を長岡で見てきました。
長岡のfireworksには、職人の「これでもかー」が滲んでいましたね。素晴らしい。
同時に、羨ましい仕事だとも思いました。
例えば、音楽で、「これでもかー」をやったら大衆は付いて来ません。
でも、花火は職人の「これでもかー」と大衆の嗜好が一致する。これは王道な仕事だなーと思いました。
それも、パトロンが金を出すという形にも、昔の芸術の構造が少し見えますしね。理想的です。
もちろん、今は、景気に左右もされる面もあるでしょうが、職人さんには、workしつづけてもらいたいですね。
しかし、一つだけ文句。
音楽が最低でした。
もう少し言うと邪魔です。
完全に、workの魅力を減じています。
花火大会なんて久しぶりに行ったので知りませんでしたが、音楽と連動させた花火があるですね。それはとてもおもしろいと思うけど、音楽がダメダメ。まずは音が悪すぎ。アレだけの人を集めていて盆踊り並みの音響はあり得ません。そして、選曲。もちろん好みはあるけれど、んーーー、ないよなーーーーーって思いつつ、感動半減でしたね。
これは長岡だけ?
おそらくどこでもそうなんでしょうね。
ちゃんとした演出家を入れれば、オンリーワンになれるのになー。
コーネリアスの昔のライブ並みまでは求めないけど、時代は、盆踊りを遠く後ろに置いて進んでいるだけに、花火のど田舎モードには少しがっくりしました。
でも、それはそれとして、きっと来年も行くのかな?
それだけのものがありました。
帰ってきてから村の花火のかわいさに、可哀想になってしまいました。
近くで見れるから、結構好きだったんだけど、刺激的なものを見た後ではダメですね。
ポケモン見つけた後に、コラッタが出てきたみたいな気分だったなー。
【TAROの日記】
2016/08/03(水) 08:42
花火と焚き火(慣れない英語で言葉を考える)
最近は、ギリシアとか、フジロックとか、ポケモンとか遊びのことばかり書いているけれど、今日は長岡の花火に行く。
新潟県人なのに、長岡の花火は見たことがない。
混んでいて行く気がしないからである。
ちなみに、片貝の花火は、昔の上司が片貝の人で、桟敷席で見せてもらったことがある。
街中が花火に命をかけている感じがなんとも良かったと記憶しているし、最後のデカイ花火は格闘技に近いと思った。
でぇ、長岡の花火である。
今回の桟敷席は、ふるさと納税で手に入れた。
桟敷席は手に入れたものの、大混みなのはみえているので少し気は重いが、一応いろんな段取りをしてあるので、後は予定通りにスムーズに進むことと、雨が降らないことを祈るだけである。
ところで、花火は、英語でfireworksと言うそうだ。
直訳すると「火の仕事」か・・・。
味がないな~。
焚き火は、bonfireである。
こっちは、ちょっと意味深だ。
私は、この単語を見て、大昔の中国の占いのシーンが浮かんでしまった。
語源は置いておいて、いろいろイマジネーションがわく。
秋の寒い山で、一人焚き火を起こす。それがbonfireってのは、素敵だ。
でも、これを日本語で直訳すると気持ち悪い。
日本語の焚き火という表現はそもそも素敵だと思う。
さらに、かがり火。素晴らしい。おき火なんかもいい。
ここら辺の言葉になると、英語はほぼ対応不能。日本語の勝ちである。
なお、本日、花火会場で、どしゃ降りだけは避けたいところ。
・・と言って、午前中から気にしても仕方ないので、後は天に任せるだけである。
ところで、It rains dogs and catsは面白いけ表現だけど、やっぱり日本語に負けていると思う。どしゃ降りって表現は気分出るよな~。
しかし、英語には、downpourなんて表現もある。
使い分け方は、知らないけど、downpourは素敵だな~。
神さまが、面倒くさがって、一気に注いでいる感じが出てると思う(そういう意味ではないとしても・・)
天に任せる・・という言葉も見てみよう。
英語だとleave one’s fate to dietyのようだな・・(いいんだろうか?)。
もし、この英語だとすると、セコクないか?
それも東洋的な価値観とは逆の感じもする。
そして、fireworksに通じる表現だなーとも思う。
最後に、スターマインって英語なのか?それとも日本語英語?
そもそもどういう意味なんだろうか?
star mineでいいのか?
別に、mineな感じはないけどなー。それにスターマインの後ろで見えないstarに失礼な感じもする。
だいたい、世界中で、スターマインって言っているのだろうか?
長岡の花火は、一発目からスターマイン三昧で、そこから怒濤のバトルな花火になっていくようである。
fireだ、fireだ。
どうも英語は、こういう表現に向くな。
英語の効用の一つは、一つの単語に、いろんな意味が畳み込まれていること。そこは便利だと思う。欲張りというかなんというか、fireなのだよ。
【TAROの日記】
2016/08/02(火) 08:39
一応、終わりの方では真面目なことも少しだけ言ってますけど・・。
今日も似たようなアホな話である・・。
金谷山と高田公園。
滅多に行かない地元の名所(?)である。
その行かない所に、土日にかけて妻と行ってきた。
目的は、もちろん、ポケモン探しである。
金谷山自体は事務所から近く、アイデアに詰まると時々行っているけれど、その金谷山の展望台とかレルヒ像にまでは行くことはない。
ところが、展望台がポケストップだったりレルヒ像がバトル会場だったりするのだから、自ずと足を運ぶことになる。
ちなみに、ポケモン目的の人は我々以外ほぼゼロ(土曜だったからか?)
翌日曜日の高田公園はすごかった。
普通の人とポケモンの人が混在。至る所で「いた、いた」という言葉が聞こえる。
パッと見で普通とポケモンは半々くらい。
半分の人はポケモンがなければ来ない人たちと考えられる。
我々は大量のポケストップでボールを仕入れた後、food stallでおにぎりを買って、小ピクニックを楽しむ。
久しぶりに来てみると、結構、公園の景色が変わっていて驚いた。
food stallは、私たちが最後の客と見たからか、ほとんど売り切れていたからか撤収を開始した。
おそらく、予想外の売上だったことだろう。
小さな経済効果かもしれないが、小さな街ではなかなかなことだ・・と思った。
昔、妻と娘たちをジャニーズのために東京ドームに連れて行ったときに、その経済効果に目が点になったが、最近の政策でトリクルダウン効果がほとんど得られなかった景色と比べると、どうも経済効果っていうのも少し変わってきたように思える。
でも、江戸時代の経済効果って、こういうものだったと思うんだよな。
人口が減るってことは、その分人の動きが多くならなければ経済は縮小していく。
実は、動因は意外にたくさんある(と私は思っている)。
そして、その一つの扉をポケモンは動かしたかもしれない。
お母さんと子どもが楽しそうにポケモンを追う姿に昔の虫取りの景色を重ねて、そんなことを思った。
同時に、男の二人連れとか男一人は、余計なお世話だけど、かわいそうだなーと思ってしまった。
多くはカップルで、”結婚しない時代”と思っていた割には多いと思った。
それと、女1人と男2人、男1人と女2人のグループの多さは新鮮だった。『突然炎のごとく』である。
ちなみに、夫婦連れというのは、我々くらいだった。おそらく私たちは少し変なのだろう。
【TAROの日記】
2016/08/01(月) 08:34
もっと大事な話があるだろ・・
本町商店街で、友人に会う。
4年ぶりくらいだろうか?
私は、近くでバトルの場所を見つけて、あーでもない、こーでもない・・とやっていた。
数分前にレベル5になり、バトルができるようになったが、やり方がわからない。
右往左往しながら見つけたバトルの場所(どういうわけか反対にあった・・)で、?????を吹き出していたら、友人が歩いてきた。
この状況は、かなりバツが悪い。
「おおおー、久しぶりだな~」という本来の気分はどこへやら、私はどうして、こんな場所でスマホを見ているのかの言い訳を考えてしまった。
友人との距離が縮まり、私は声をかけた。
「なにしてるの?」
間抜けな質問だ。
普通は、「おおーー、久しぶり~」のはずである。
間抜けな質問には、間抜けな回答が帰ってくるというものだ。
「ブラブラしてる~」
ブラブラって、オレ(私)は何を返せばいいのかわからない。
そこで困って言った。
「今、ここで、ポケモンGOのバトルをしようとしてるんだぁ」
どう考えても、久しぶりの友に言う言葉ではない。
友は言った。
「バトル会場なら寺町にたくさんあるらしいよ。ポケモンもたくさんいると聞いた・・」と話しはじめ、詳しいポケモン情報を教えてくれた。
私は聞いた。
「ポケモン、やってるのか?」
彼は言った。
「やってない」
・・・・・・・・
「じゃーねー」と言って二人は別れた。
一体あの久しぶりの出会いは何だったのか?
まー、そんなものだったのだ。
しかし、奴が詳しいのは謎だ。
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