【TAROの日記】
2016/11/11(金) 08:35
400mトラック
世間は、トランプがどうのこうのと騒いでいるが、私はそれどころではない。
もう目の前の仕事だけで手一杯。死にそうである・・。
・・・とこんなことはいつも言っているので、言い飽きていそうなものだが、毎度訪れるピンチは、いつでもどこでも新鮮である。
いやー、しかし、今回はかなりヤバかった。
さすがにどうなるかと思ったが、なんとか乗り越えて、後はここ数日の仕事のチェックをするだけになった。
明日から当分新潟には帰って来ない。
三週間くらい、あっちこっちを飛び歩く。ついでにバンドの練習もある。
そして、今年も終わりだ。
また、1周が終わる。
1年が400メートルトラックだと気づいたのはいつの頃だったか?
最初は一直線だったものが、どこかでトラックになった。
マラソンでは、コースを走り終えトラックを1周して終わるが、どうも人生では、0歳からはじまったコースは30歳くらいまでで終わって、そこからトラックに突入。そこを何周もするようになっているようだ。
私はそんなトラックを回り、あー、次の1周だ・・と思っている最中である。
子供の頃、1500mとか嫌いだった。400メートルトラックを4周とちょっと。これがスピードも距離もそれなりで一番嫌だった。
でも、私は、今までトラックを1500m走のように走ってきたと思う。
そして、案外、そんな速さでも何周もできるんだなーと感心していたりする。
欲は欲を呼ぶ。
一つの欲は、一つの努力を伴い、努力の成果は次の欲を呼ぶ。
1500m走にはそんものはないが、人生にはそれがあるから続いていく。
実は上がりはないのだと思う。
だから、欲望を持って死ねたら幸せなんだろう。「あっちにはなにがあるんだー?」って好奇心を持ちながら死ねたら最高なんじゃやないかなー。
【TAROの日記】
2016/11/10(木) 08:37
重なるハーちゃん
世の中がトランプ勝利でヒーヒー言っている。
ニュースで専門家は語る。素人も語る。
「あれ、トランプって、政治経験ゼロなんじゃないの?」
彼らの語りを聞いて私はそう思う。
外交の専門家という人が何を語ったって、意味はないはずである。
語るとしたら、トランプの知人とかトランプのことを記事にしたことがあるジャーナリストくらいしかないだろう。
素人はあいかわらずいけない。
「街に行ってインタビューしてこい」と命令するやつが一番悪いと思うが、テレビから素人の意見ってなくすことができないものだろうか?
そういうのも聞きたいと思う人には、ネットがある。そこには選挙時のトランプも怯むような意見がたくさん載っている。
でぇ、そういうのが民主主義なんだと私たちは今回教わった。
1933年も同様だったんだろうな。
さて、トランプ。
私は、なぜか彼がカニを食べて食中毒で死ぬと思っている。
どうも、頭のなかでハーちゃんと重なるのだ。
・・と言っても彼は、ハンサムではなく、どっちかって言うと悪党顔。
でも、ハーちゃんが重なる。
もちろん、歴史上の人物を生でみたわけではないけれど、私のハーちゃんは、あんな感じだ。
でぇ、次にキューちゃんとフーちゃんがくるのかなー?って思っている。
この幻想を取り払いたいのだが、当分、無理な感じがする。
【苦しめTAROお仕事LIVE】
2016/11/09(水) 08:30
特別セミナー
今年も、もうちょっとで『特別セミナー』です。
なんとなくはじめたのですが、最早、定例になってしまいました。
そして、今回は6回目。
前回が5回目ということで、強引に一周させましたから、今年からは新しいタームに入るのだと思います。
今までの5回を踏まえて、もう少し深いとろこに迫っていきましょう。
そこで、今回は「どうして、私は孫正義ではないのか?」という問いからはじめていきます。
別に、孫正義になりたい人はいないと思うけど、彼を鏡にして、「わたし」を考えるという算段です。
・・・ということで現在、鋭意準備中ですが、『VIPミーティング』に、『ポートランド・フォロー・セミナー』もあるので、かなり溺れています。もうヤバイです。よくやっていると思います。
どこまで溺れても脱出が可能なのかを自分を使って実験しているような雰囲気になってきていて困りました。ちょっと肩も凝ってきたな~。
ついでに、1年前にオーダーしたギターが来てしまって、これが超素敵なのです。どうしても弾いてしまう誘惑には勝てません。
このギターのせいで今までの歴代ギターが全部色あせちゃいました。
今年、ピックアップを変えたばかりのギターもあるというのに、トホホホホ。
新しいものとの出会いって、過去の否定だな~とつくづく感じつつ、もう一台オーダーできないかと模索中です。
そして、『特別セミナー』の今年のテーマも、過去の否定に大きく比重を移します。
「わたし」をある程度を知った方々の「わたし」の否定です。
それがどれだけ強力かを体感していただけたら、なによりですね。
さてさて、今日はナタラジの選曲とつなぎの作業からはじめるかな・・。
【TAROの日記】
2016/11/07(月) 08:47
軍艦島で考えた
『ワイガヤ』で、軍艦島に行った。
1974年まで、これが稼働していた・・というのは驚きだ。
しかし、私が子供の頃の日本はそういうものだったのだと思う。
親戚のおじさんなどが勤めていた場所は、こういうものに近かったような感じがする。
案内人の解説では、ストの話がまったく出てこなかった。
しかし、2.1ストの頃には、この場所も荒れていた可能性はある。
ただ、生活全部を丸抱えのこういう場所でどんなことがあったかは、ちょっと想像ができない。
世界は、いろいろなものが支えないと成立しない。
それは今もそうだ。
しかし、最近は、過剰に人権が叫ばれて、世界の機能は低下している。
まー、どっちを選ぶかのお話で、世界の優先順位が変わったという理解でいいのだろうが、優先順位を考えないでリベラルなことだけを言いまくる人は多い。
・・・と、まーいろいろあって、時代の優先順位は、夢になった。
今日のNHKは、ニュースでは言ってはいけないような、夢を言っていたな・・。
もう、こんな程度のことはアリなのだろう。
そう言えば、オリンピックを軸にして、いろんな夢を語ったNHKの特番もあったなー。
夢の一部は実現するだろう。イーロン・マスクなんてインストールの一発でそれをやろうとしている。
でも、土は残り、汗も残る。それが現実だから。
そこを基準に考えると、イカサマの見分けもある程度できるのかもしれない・・。
【TAROの日記】
2016/10/28(金) 08:36
そういうわけで、香り
別に書くこともなくて、強引に「音」のことを書いて、
さらに、書くこともなかったので、「光」ってことにして書いてみたので、今日は「香」で書いてみるか・・である。
企業の香り戦術は、最近、ウザさも感じられるけれど、匂いは強力だ。
私だって、新車の香りは好きだし、シティホテルの香りも心が満ちた感じになる。
あれらが、人為的に振りまかれていることを知っていても、やっぱりいい。
ただし、最近、そういう戦術を取る企業の香りの傾向が似てきているのは気になる。ちょっと、ウザい。
アパレルとかは、使わない方がいいんじゃないだろうか?
香りさえ過剰になっている昨今ってことなのだな・・。
改めて、「香り」ということに視点を当てると、浮かぶのは子供時代の景色だ。
母の匂いは当然として、子供時代のシーンは匂いとともにカプセルに封印されているような感じがある。
カプセルの中の画面は仄かな香りと共にあるのだけど、その匂いは目の先にあるけど思い出せなくて不思議な感じだ。
最近は、汲み取りの車はほとんど見なくなったけれど、子供時代の香りの記憶は、アレが一番だったりする。
近くにSB食品の工場があって刺激臭がすごくて、工場の前を走って通ったものだ。
田舎に行くと、牛を飼っている家が多くて、牛の排出物の匂いも凄かった。
パン屋の工場の匂いとか良い香りの思い出もあるけど、嫌な香りの方が懐かしい。
でぇ、その思い出全体を包む香りがあるんだけど、それは母の香りと共にどこかへ行ってしまった。
死ぬ間際にもでも思い出すのだろう。
・・ってこで、香りって普段は意識はされないけれど、それぞれの人生にとって重要なものだと思う。
香水くらいはいいけれど、企業が洗脳的に香りを使うのは、掟破りだと思うんだよな・・。
【TAROの日記】
2016/10/27(木) 08:35
光
光が過剰になって、もう何年も経つ。
街の光が山奥にも侵入してきて、そのせいできれいな星空が見えなくなってからどれくらい経つだろうか?
都会の人たちは、昔の星空なんて知らないので、ちょっと山に入って、それなりの星空を見れば感動してくれるけど、あんなものは話にならないくらいにダメである。
そして、日本では、相当な山奥に入っても、昔の星空を見るのは不可能だ。
もしや、街の光がまったく入らない・・なんてところがあったら教えて欲しいけど、ないだろうなー。
飯豊山あたりでも、最早ダメなのではないだろうか?
視界は微妙だ。
我が家は田舎なので、それなりに星空が見えるけれど、見る場所で美しさはまったく違う。
たかが家の光でも、数メートルの違いで、美しさは段違いだ。
そして、我が家の畑の一番奥の所は、星がきれいに見えるポケットスポットになっている。
その特別な空間は、微妙な光の侵入加減の違いでできているようなのだ。
光を過剰にしたのは、私たちの欲求だ。
資本主義はそれに答え、さらに煽った。
なんでも、加減とか強弱というのが大事だけど、資本主義は加減を嫌う。
実は、商売では、加減と強弱はとても重要なファクターだけど、その総体である資本主義はそれを嫌う。
ここが私たちの住む世界の面白い塩梅で、この塩梅が勝敗を決めていると私は思っている。
光の侵入は、資本主義の総体同様に暴力的だが、我家の庭のように、その侵入が少し弱まる場所はある。
資本主義にもそういうところがあって、その場所を見つけると、ずいぶん面白いことになる。
そういうのをブルーオーシャンなどとセンスの悪い言葉で表現する者もいるけど、そういうものとはちょっと違う。
あーいう後付は韓国の学者に好きに喋らせておいて、私たちはそういう言葉を使わないというのがミソなのだ。
光は暴力的だけど、無限ではない。
【TAROの日記】
2016/10/26(水) 11:22
音
昨年の映画『イマジン』は、驚愕するほどに音の素晴らしい映画だった。
『攻殻機動隊』のアライズ・シリーズの4本も音が良かった。あれはコーネリアスの新譜だと思った。しかし、なぜかアライズシリーズは最終の劇場版はイマイチだった(なぜ?)。
ところで、話題のアニメの音がひどい。
途中までの脚本に感動しつつ、音には興ざめだ。その音をやったバンドの主題歌は売れているらしいが、私のようなおじさんには何も言うことはない。もちろん、この映画のラストにもずっこけた。しかし、私の感想よりも世間の評価である。
その話題のアニメの後ろで、ジワジワと売れているアニメの音がいい。
あのアニメはラストも、素晴らしい。
音の「間」のセンスに驚きつつ、最後に『臨済録』になったと思った。
でぇ、某話題作の音がさらにいい。
映画館の設備が良いからか音の分離も良くて、普通は邪魔になる強引なBGMも心地よい。
まー、しかし、この映画の主役は何気ない音だ。
あらゆる道具立てが完璧なうえに、この音なのだからたまらない。
日本人は音に鈍感だった。
その証拠に、スキー場や海岸では大音量の音楽が流れる。
若い頃、私はあの音が嫌で、今で言うバックカントリーに逃げ込んだものだが、音は、どこまでも追いかけてくる。
しかし、話題のアニメの音の悪さを余所に、音の良いものが増えてきたように思う。
特定の周波数が強調された音がそこら中でなっている景色は、終わる・・・のではないかと思う。
もちろん、すぐではないけれど、少しずつ変わっていく兆しを感じる。
資本主義は、音を悪くした。
いろいろと音を改革した功績もあるけれど、全体としては環境をずいぶん騒々しくしてくれた。
でも、その資本主義の曲がり角で、音も変わりつつあるように思える。
そして、映画の鑑賞要素として、音はもっともっと重要になってくるじゃないだろうか・・?
・・って書いていたら、蜷川の『四谷怪談』を思い出した。
鈴木慶一がやった音の演出って素敵だったよな。
【TAROの日記】
2016/10/14(金) 08:44
世間もボブ・ディランだろうけど、やっぱりボブ・ディラン
まー、当然の受賞ですね。
きっと、ファンはみんな同じことを言っていることでしょう。
そして、ネット中で、そんな発言が大量で出回っている・・・・ことでしょう。
んーー、そんな景色の中で、私も「ディラン」のことを書くのは抵抗ありますが、まー、仕方ないです。お祝いです。
私も、デイランはよく引用します。
特に、有料メルマガの『週間 岡本吏郎』でよくやっています。
来年の3月の原稿をすでに書いてあるのですが、その原稿の中でも『Disease Of Conceit』をネタにしています。
ディランの詩集というと、今は中川五郎訳詞の分厚いのが定番とされますが、申し訳ないけど、あまり訳がよくありません。直訳を目指したということなので、ある程度仕方ないとは思っています。
そして、そのお陰で、英語オンチの私も訳詩に頼らず、原文を見るようになりました。
今日、NHKでは『blowin’ in the wind』が鳴っていて、その詩がディランの代表作的に報じていました。まー、仕方がありません。報道ではそうなって当然でしょう。
でも、一体、彼のいつの時代の仕事だと思っているんだい!って言いたくなりますね。
大昔、
I was so much older then,I’m younger than that now
と歌ったディランは、今、ノーベル賞を取って何を思ってるでしょうかね。
まさか、
There must be some way out of there
There’s too much confusion
とは思っていないでしょう(本当に、年を取ったことだしね・・)
でも、
Life is but a joke
とは思っていそうですね。
【TAROの日記】
2016/10/13(木) 08:34
スイッチ変換
私はせっかちである。
特に、仕事ではそれが何倍にもなる。
時々、そのスピード感覚についてこれない人もいるようだ。
ところで、そのスピードは両刃の剣である。
物事が順調に進み、それが連鎖しているときには強力だが、じっくり考えないといけない時には、反作用が増大する。
その反作用を感じることが多くなったせいか、最近、自分のせっかちに困っている。
ちょっと止まれば何でもないことで、止まらないので問題解決の機会を失ったりする。
おそらく、今までもそういうことがあったのだと思うが、年のせいで気づくようになったのかもしれない。
そこで、ここ数日、ゆっくり過ごすようにしている。
しかし、どこかに無理があって、やりきれない。
それで、その中途半端な感じに違和感を感じる。
でも、私の身体の中のお知らせセンサーは、今のうちに、この件について何とかしておかないと大変よ!と言っているので、なんとか慣れないものかな~とフラフラ過ごしている。
・・とは言っても、今日も忙しい。
フニャフニャしていると時はどんどん過ぎる。
激流の中に居て、フニャフニャもないだろう。
でぇ、スイッチが入る。
結局、何も変わらない。
・・・ということを何度か繰り返すと良いことでもあるのだろうか?
おそらく、あるのだろう・・。
ということで、騙し騙しやるのだった。
気分としては、ジョアン・ジルベルトの『歌とギター』をプロデュースしたカエターノ自身が、ギター一つ抱えてステージに出てきたシーンに近いのだろうな~と思っている。
【TAROの日記】
2016/10/12(水) 08:35
柿100個
とりあえず、今年は庭の柿が100個取れたそうだ。
いつもは1000個は取っているので桁違いに少ない。
理由はわかっている。枝を剪定したためだ。
柿の枝が伸びすぎて、少し庭が暗い感じになったので剪定をお願いした。
収穫よりも明るさを取ったわけである。
しかし、毎年2000個近く取っても、人に上げたり、オークションで売っているわけで家族で食べる量はしれている。
正直100個で十分。そもそも、毎年、収穫には大量の時間と体力を要するので、毎年これくらいの方が助かる。
この間行ったポートランドで見たものは、我が家の柿の次元で語られることも日本では多い。
塩梅を大事にしましょう・・。人生はお金だけではないからね・・。という文脈である。
しかし、それは本当だろうか?
ところで、昨日、「しくじり先生」をビデオで見た。
番組の中で野沢直子が言っていた。
アメリカに住んで8年も経ったころアメリカ人の笑いのセンスの悪さに気づいた・・。
私も、ポートランドで、アメリカ人の音楽のセンスの悪さに気づいた(前から知ってたけど、今回は思い知った)。
特に、1月にタスマニアを旅して、あのセンスがめちゃくちゃひどかったオーストラリア人のセンスが、驚くほどに上がっているのに恐れ入ったので、それはそれは対象的な驚きだった。
ちなみに、最近、ハイエイタスカイヨーテなどを筆頭に、オーストラリアから信じられないようなセンスの良いバンドが登場している
ことも、実際に、現地に行って理解できた。
逆に、アメリカは、今も、ロバート・アルトマンが『ナッシュビル』で描いたままの景色が佇んでいる。
あれは土着の国民性なのだ。
そして、そう理解すると、ポートランドのギクシャクな感じ(我々日本人から見てのもの)もわかる。
ただし、日本にもそういうところはたくさんある。
私の住む田舎もそうだ。
そして、そういう場は居心地がいい。
お金もそんなにいらない。
人口統計的に言うと、それは未来でもある。
しかし、それは本当に未来なんだろうか?
・・・100個程度のちょうどよい数の柿を見ていたら、そんなことを思った。
なにやら、批判的なグチみたいなことを書いたが、もしそれがリープフロッグだったら、どうなるか?
んーー、暗黒だな~と思いつつ、でもその可能性は感じるのだった。
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