【TAROの日記】
2011/04/08(金) 02:20
目が覚めてしまった・・。
朝の2時半。
しかし、目が覚めてしまったので、起きた。
昨日から、確証バイアスと戦っている。
非常時なので、なるべく思考をプレーンにしておきたいけれど、
一度持ってしまったシナリオというのは、
なかなか変えられない。
そこで、身体に聞いたり、いろいろしている。
答えは、あくまでも出ている。
足りないのは、自分の力のようだ。
自分の力に合わせようとするところこそが、
バイアスになっている。
これはいけない。
最悪のバイアスだ。
しかし、ここで、自己というバイアスに振り回されるのはヤバイ。
結局、転換点での最大の敵は、自分。
わかちゃいたけど、わかっていなかった・・のね。
【TAROの日記】
2011/04/07(木) 08:00
放射線が・・
昨日紹介した『経営者ミーティング』に
放射線測定器を持ってきた人がいた(変だ!!)
懇親会の時に見せてもらうと、
びっくり!
上越市でも 0.1マイクロシーベルト前後はある。
数字は、盛んに動く。
0.05になったり、0.08になったり・・。
でも、目の前の数字は、
ホームページなどで見る東京の数字と大して変わらない。
ドイツの気象庁が出している放射性物質の流れでは、
新潟には、これから来る予定なのに、
どうして?
ちなみに、こちら
です。
でぇ、私の個人的結論は、
別に、普通に放射線はそこらじゅうにあるということだと思う。
おそらく、騒ぎすぎ(もちろん、騒ぎは実際に存在するのだから、騒ぐのは自由)。
追伸
このドイツ気象庁の予測だと
今日から新潟も放射性物質飛散の流れの中ね
【TAROの日記】
2011/04/06(水) 05:27
暴言ザンマイの風景の中で
一昨日は、地元経営者に集まっていただく
『経営者ミーティング』だった。
震災シンドロームが続く中での
毎度毎度の放言漫才(相方は笹川)は、
時期が時期だけに、危ない放言の連続。
録音したけど、さすがに、これは封印。
でも、行間に光る会話があった(自分で言うのはなんですが・・)。
それに、場内で一番盛り上がった贈与行為の話は、
絶対に外では言えないけど、
恐らく、最も本質をついた話だったと思う。
哲学的、精神分析的でありながら、
大爆笑、ひんしゅくの瞬間だった。
本当は、そういう会話こそが生産的なはずなのだ。
最近、自由シアターの『上海バンスキング』の場面が時々浮かぶ。
どうも、自分の身を、あの芝居の登場人物に投影しているらしい・・。
そして、だからなのか、既視感がある。
遠い昔に活字で見た場面などとの
シンクロを感じつつ、
ついにここに到達したんだ・・という気分がある。
くるべくして訪れた・・という感覚がある。
身体の中で、小さな興奮が続いているのは
そのためだ・・。
【TAROの日記】
2011/04/05(火) 08:27
そろそろ、こういう構図で言ってもいいかな?
私が住む上越市の花見も
平日は夜のライトアップが中止になった。
バカだね−。
と私は思う。
しかし、こうした個人的意見を
言っていても意味がない。
そこで、
自粛派VS反自粛派の図で考えてみる。
こうして表現すると、
昔からよくある構図だ。
例えば
攘夷派VS開国派の図。
スケールは違うけれど似ている。
どっちが、攘夷派かはここでは書かない。
魔女狩りの対象になりたくないからね(笑)。
ちなみに、
花見のライトアップ中止を決定した人間には、
こうした主張はない。
単なる自己保身だ。
いつの世でも、こういうくだらない奴が
混乱を助長する。
【苦しめTAROお仕事LIVE】
2011/04/04(月) 09:15
感謝しつつ、複雑・・
えー、先週末にご案内した
『大震災の意味を考える』が、
私たちが考えている以上の反響です・・。
しかし、怖いです。
親しい方々の前で話したラフな音声のため
多くの方々に聞いていただくものとしては、
あまりにも無防備な代物ですもん。
そこで、今日の朝、
購入いただいた方々向けに、
ある文章を書きました。
その文章の一部を転載したくなりました。
だって、何もかもが怖くなって来ちゃったんですもん。
そして、震災後日本の重要なテーマだとも思うものですから・・。
*******************
・・・・・・・・・・・・(たくさん、略)・・・・・・・・
音声の中で、デマは、介在者が一人でも始まってしまう
というお話をさせていただいています。
これが情報社会の怖さで、私が、今回の音声で、
本意が伝わっているかを気にしている点でもあります。
また、世の中には、情報が引用されて、どんどん伝わっていきますが、
オリジナルをダイレクトに聞かないと、すでに内容が曲がっているという問題点でもあります。
私がどこかで話した内容も、聞いた人を介在して流れ、
私がそれを再び聞くような場面も時々ありますが、
だいたい話はオリジナルとは違うものになっています。
・・・・・・・・・・・(さらに、たくさん、略)・・・・・
********************
実は、情報のレバレッジは、
今までも効いていなかったと私は思います。
そして、これからは、さらに効かなくなると思います。
誤差が許容できる時代がありました。
高度成長期なんて、誤差だらけでも、なんとかなった不思議な時代です(だと思う)。
それが、だんだん、誤差が許されなくなっていって、
それが極に達した時、大地震が来ました。
震災後がどうして空気が違うかと言えば、
その理由の一つが、今まで以上に誤差が許されなくなったところにあるのではないでしょうか・・?
だから、狂いが生じやすいものほど扱いが慎重になります。
情報は、その最右翼にあります。
情報伝達手段が発達した時代の景色としては皮肉です。

【TAROの日記】
2011/04/01(金) 08:23
自我安定
ACのテレビCM
「たのしい~、仲間が~、ポポポポーン!」に
「こんな大変な時に、あんなCM流すな!!」
というクレームがあるんだって、バカみたい!と子供達が言っていた。
本当に、バカみたい!!
私は、まだ、60秒バージョンを見たことがなく、
マンボウ君に出会っていない。
一生見れない気もするが、
youtubeで見るのは、負けた気がするので、
意地でもテレビで見てやろうと思っている。
ところで、わけのわからないことに、
クレームを言う奴というのは、いつでもいる。
理想や主義に頼って自我を安定させようとしている(@岸田秀)カワイソウな行為という評価も終わっている。
だから、別に、何も言うことはないけれど、
大事件や戦争は、自我の拡大を誘発し、
その拡大された自我が安定を得ようとするから、
こうした行為はどうしても目立つことになる(ここら辺も、岸田秀の受け売りかな?)。
そして、自己防衛優先の輩が、こうした自我安定行為に敏感に反応する。
自我安定VS自我安定がそこらじゅうで起こる。
世の中は、確実に、後ろ向きに進む。
んーー、ここんところ、ブログでは後ろ向き発言になるな~。
これは、日常の会話やセミナーなどの内容が、超前向きなので、
その反動なんだろうな。
自分の中の自我とエスの戦いなんだな・・。
【TAROの日記】
2011/03/31(木) 07:27
日常という幻想
この間、テレビで栗本慎一郎を見た。
昔は、よくテレビに出ていた人だったので、
「あれー」と思った。
知らなかったけど、病気のために、
仕事ができなくなったらしい・・。
凄くパワフルな人だったから、
テレビの彼の姿は痛々しかった。
彼と岸田秀の対談で、
“日常性”についての会話がある。
栗本慎一郎の
「日常性が幻想だということですね」
という問いに、
岸田秀は、
「そうです」
と答える。
その対談の場にいたわけではないけれど、
私は、この対談の場面が好きだった。
そんな場面を若い頃に見て(?)しまったからか、
日常性をどうやって補強するかが、私の興味の一つだった。
おそらく、私が書く文章や本には、
この考えが根底にあると思う。
私は、幻想だからこそ、日常性の補強の必要性を感じた。
そして、それは、わずかな補強で、ある程度可能だと思った。
しかし、やっぱり、日常性は幻想だ。
今回、私たちは、それを思い知った。
でも、私は思う。
それでも、次の日常性は、その前の日常性の中にある。
その前の日常性の中の補強が次を決める。
次の日常性がはじまる。
前の日常性は壊れた。
もうない。
ここに気づいていることが重要だ。
しかし、周辺を眺めると
二手に分かれている。
まだ、壊れた日常を幻想する人は多い(被災地でもないのに・・)。
日本人の文化から、イニシエーションが少なくなってしまったことに
原因があるのかな?
それとも、前の日常性の中に補強がなかったからか?
次の補強がはじまる。
【苦しめTAROお仕事LIVE】
2011/03/30(水) 08:36
昨日の『まーけ塾』
巨大地震が襲ってから、
今後の動きと対処法、歴史的な見方なんぞを
思いつくままに話してきた。
昨日の『まーけ塾』は、その集大成みたいな内容になった。
参加者の中には、勘が良くて、すでに私なんかの見方と同じ
ものを感じて行動にうつしている人もいたので、
説得力あった。
会場の雰囲気は、
震災後遺症が残る抑うつ系の人が、
目覚めざるを得ない明るさでもあったね(毒がモリモリ)。
被災地は、マスコミ報道以上の景色、惨劇だろう(本当に心が痛む)。
「日本」という言葉を連呼するこの国の方向も危うい。
原発だって、わからない。
そして、情報量の多さからか、一般人は低脳化中。
悪い方向への大きな動きは止まらないと思う。
しかし、私たち一人一人には、間違いなくチャンスだ。
そろそろ、桜も咲く・・。
追伸
昨日の内容は、普遍的な部分が多いのと、
震災シンドロームの方々に捧げるため、
現在、一般販売を検討中です(VIP会員の方には、有償配布を考えています)。
【TAROの日記】
2011/03/29(火) 08:37
自粛
娘の大学の入学式等々自粛。
楽しみにしていたライブが数本中止(延期)・・・。
そんな戦中の雰囲気の中、
野田秀樹の『南へ」は勇気をもって予定通りに上演している。
上演前の野田秀樹のアナウンスが感動だ!!
現在、私たちは、
映画や芝居などで見てきた戦争中にあった景色を経験している。
あの時も、「自粛」という言葉が踊った。
被災地に対して、できることをする。これは日本人ならば誰もが持っている気持ちだろう。
しかし、それが「自粛」という行動に出るのはよくわからない。
私が為政者ならば、桜の開花は利用する。
そこで、自粛をやるようではダメだ。
「早い回復」などと口では言うが、
誰にも文句を言われないように、無難に過ごす気持ちしかないのだ。
為政者の「無難」(=保身)が、日本をアメリカとの戦争に突入させた。
無難なことって、何も生まないどころか、世の中や自分を悪い方向に持っていくものでしかない。
追悼の気持ちはある。
しかし、それと自粛は別だ。
自粛は、単なる保身でしかない。
「がんばれ、日本」的なアナウンスが飛び交うけれど、
こんなんじゃダメだ・・。
本当に、ガンバルならば、まず保身をやめないといけないよな・・。
【TAROの日記】
2011/03/28(月) 08:37
「・・・・・・べきだ」に違和感
Twitterにあげられる数々の「・・・べきだ」発言。
多くは政府や東電、そして、私たちに発せられたもので、
そのツィートに、「そうだー」という反応も多い。
まー、そう思う人が素直にしている発言なわけで、
批判なんて私にできませんが、
すごーい違和感があるのも事実。
まずは、これは私個人の問題。
私は「・・・べきだ」の人たちが基本的に嫌いで、
どんな良いことを言ってたって、聞く耳を持たないのだーぁ。
でぇ、この告白で、ひとまず勝負は終わるけど、
「まずは」と書いたので続ける。
もう一つは発言している人の問題。
私は、ほとんど、「・・べきだ」という言葉は使わない。
そんなものフィクションだと思っているから。
そして、私の周辺にもいない。
時々、「・・・べきですか?」と質問系で言う人はいるけど・・。
そういう人には、
「そんなことありません」
「そう思うならそうしたら」
「どっちでもいいんじゃない」
というクリシェが用意されていて、
いわゆる、こういう会話は儀式でしかないとみんなで認識がすんでいる。
言いたいことは、
ある程度、普通の人は「・・べきだ」なんて言わないんだよ。と思う。
私の妻なんて、学校の先生が子供相手に「・・べきだ」と言ってても
違和感感じてるもんな(少し極端だ)。
まー、しかし、こういうことを書くのは、
私自身が「・・べきだ」が嫌いという上記最初の理由が原因だろうから、
やっぱり、私の問題だ。
しかし、これは便利だ。
リスク管理になる。
あまり書くと問題発言になるから控えるけれど、
これはリスク管理になる・・。
ありがたいことだ。
・・こんなことを書きながら、
私は、1933年のドイツが浮かぶ。
あの時、ドイツ人が「・・べきだ」と言っていたのは想像がつく。
そして、その一番声が大きかったのが、ナチスなんだろうな。
彼らは、国民の「・・べきだ」を利用した。
大きな大きな超自我が時代を支配した。
私の「・・べきだなんて大嫌い!」も、しょせん超自我。
どっちにしたって、みんな支配されている。
時代は、そういうものも見せてくれることがあるんだなーと一人感心。
歴史って、面白い。
私たちがちゃんと主役になる局面ってあるんだもんな。
最新のコメント