【TAROの日記】
子供の質問2010/12/08(水) 04:50
末っ子が、
「お父さん、人間はどうして生まれてきたの?」
と聞くので、
「わからないけど、人間原理という考え方がある。さらに・・」
と言って、人間原理&エントロピーの法則、相対性理論について話す。
子供には、宇宙が観察されたがっているという仮説も
机の上が、すぐに汚くなるという話も
時間が相対的という話も
新鮮らしく、ずいぶん興奮して聞いてくれる。
でぇ、「ちょっと、我ながら、親っぽいな・・」という結論にする。
だから、人は勉強をしないといけない。
だって、見えるものは勉強量で違うんだから、
宇宙は、馬鹿には見られたくないだろ!
だから、エントロピーを制御することをクセづけようぜ。
部屋や机の整理整頓も意味があるんだよ。
・・・こういう結論にしなければ、
もう少しおもしろい話だったかもしれないのに・・。
「お父さん、人間はどうして生まれてきたの?」
この真意は、「ボクは、どうして生まれてきたの?」である(・・・と、かつて読んだ河合隼雄の本にあった)。
人は、自分が生まれ出た瞬間を知らない。
つまり、自己存在の始まりについて、知らないままなのだ。だから「果たしてこの人は、私の親なのだろうか」という疑問も持つようになる(これが反抗期の入口なんだけど)。
以上のような前提で、この種の質問には、回答が決まっている(と、河合隼雄の本に影響された私はいう)。
(まず、その子をしっかりと抱きしめる)
「お父さんとお母さんが、○○ちゃんに生まれてきて欲しいと願ったから、生まれてきたんだよ」。
確かに「見える量は勉強することによって違ってくる」ものですね。それに、学んだもの(文学なのか、物理学なのか、経済学なのか、心理学なのか等)によって、自分の認識が変化してゆくと、見えている世界の意味合いが姿を変えていくのが面白いですね。