【TAROの日記】
境界線(5)2008/04/11(金) 05:50
「ひきこもり」になったことがないので、よくわからないけれど、あれは「自分」という病気の保存本能なのかな?
境界線があやふやになるのって怖いから、一生懸命ひきこもって自己保存しているのかもしれない。
でも、境界線があやふやで、動くと自分がばらけてしまいそうだから、じっとしているのかもしれない。
まぁ、そのどっちもなのだろう。
では、個人的には、前者よりも後者が好き。
境界線があやふやで、それがあやふや過ぎちゃうので、じっとしているというのには可能性を感じる。
ところが、あやふやになるのが怖くて、じっと安定を保っているとすれば、その先には滅びしかない。
ひきこもっていなくても、そんな感じの人はたくさんいる。
・・・・・・・・と「自分」という境界線のあやふや感を感じたら、思ったのだった。
田舎は、これからが桜の時期。
桜の花が織りなす境界線のあやふやは、酒の肴に良い。形を守ったら終わりなのだ。
自分に起こるあやふや感は怖い。でも、これが生きるということなんだね。
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