【TAROの日記】

2011/04/26(火) 08:25

点ということを考える

数時間の出来事だったけど、
先々週に参加した31年ぶりの同窓会は鮮烈だった。

なんてたって、31年ぶりというのが良い。
たまたまとは言え、すごいセンスだ。

おかげで、50歳になる前のイニシエイションになった。

31年というのは、誰もがある程度の結果を出した時点になる。

まったく結果がない者たちがバラバラに散開して、
31年ぶりに結果を持ち寄る。

その持ち寄りは、言葉にする必要はなくて、
それぞれの姿形の中に全てが畳み込まれている。

そして、他者の目から自己が見える。
面白いと思った。

同時に、それは上巻の終わりでしかない。
ソダーバーグが、チェ・ゲバラを2本の映画で描いたように、
塩野七生が、ベネチアを2冊で描いたように、
物語は、話を切る時点で景色が変わる。

31年ぶりという時点は、あくまでも点でしかない。
・・というか、いつでも私たちにあるのは点でしかない。

点は、やさしくて冷徹だ。
短いようで長い。
そして、点と言いながら影響力は大きく長い。
しかし、点は維持もできれば放棄もできる。

結局、点には、すべてが畳み込まれている。

31年ぶりの次は、おそらく、早めだろう。
2-3年もすれば再び集まる・・などという話になりそうだ。

しかし、本当ならば、もっと長い方が良い。
その方が純粋な点の確認ができる。

まー、それはそれとして、風邪ひきだった私は、誰とも連絡先の交換もせずに
一次会で帰った。それもある面よかった。
しかし、昔のクラスの奴らくらいは、連絡先を聞いておけば良かった。
おそらく、相当な情報交換が可能だもんな・・と後から少し現実的になったりもした。

もし、これを見ているクラスメートがいて、その気になったら、連絡でもください。
・・と言いながら、また30年後かもね・・。

「点ということを考える」へのコメント(0件)
  1. (おうん・オカモトより11歳年長の)我々も、48歳の年男(年女)になる時期に同期会を開催した。560名中108名の参加だった。
    次は、やっぱり、還暦同期会、というオチになった。
    学年を問わず、還暦同期会は、期待が大きいようだ、と、先輩たちの同期会の話を聞きながら、今、幹事が準備している。
    そういうことを熱心にやるバカがいないと、会合としてはまとまらない。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


2011年4月
 123
45678910
11121314151617
18192021222324
252627282930  
ページトップヘ