【TAROの日記】

2013/06/11(火) 08:31

チャプチャプを見つけるなよ!!

アジアの人たちが昔からチャプチャプと泳いで交流していた海を西洋人は「発見」と言って騒いだ。
それ以後、アジアってのは発見されて、西洋人というのは発見した人ということになったわけだけど、もちろん、こんな失礼な話はない。
これは、典型的な無知な奴らが威張っている・・・の図だからである。

でぇ、1492年以後、このように無知な奴が表面的な手柄を取るというのは一つのパターンになった。
それは無知ゆえにできる芸当だったりする。

昨日、息子の本棚にあった『世界史B』という教科書をパラパラながめて、そんなことを思った。

日本の高校生の習っている世界史は、ぜんぜん世界史ではない。
どうして、あれを世界史と呼ぶんだろう?
でも、私も子供の時は、あれを世界史だと思っていたわけで、あんまり偉そうなことは言えない。
しかしだよ、当時の私にとって世界史は、現代史だった。現代史だけが馴染んだ@高校生
これって、結構カンが良かったと思う。

そもそも、学校で習う”世界”が、西ヨーロッパばっかりのくせに、その歴史が全然見えないことは疑問だった@中学生
中国史は、殷からはじまっていた(当時、夏はまだ習わなかった)。そのこと事態にはデッチ上げも多いことは今は知っているけど、それはそれとして子供の興味範囲の境界線を殷という文字で埋めていた事実は大きい(・・というか、とりあえず司馬遷のおかげで埋めることができたという事実は大きい)。

ところが、中学生が図書館までいって調べても、ヨーロッパの歴史はわからない。
ヘロドトスが描いた世界からしかはじまらないのだから当然なのだけど、中学生はそんなことを知らないから、フランク王国や昔のイングランドの正体がわからなくて困った思い出がある。
そして、山川の地図を見ていると、自ずと作為を感じてしまうのだ。だって、あんなに大きな世界地図なのに、書かれていることの濃淡が大きすぎるものね・・。

・・とこういうヘソマガリな経験を子供時代にしたので、物事の濃淡と分離には敏感になってしまった(たまたま)。
だから、ここんところの日本国の報道という分野の濃淡の激しさが鼻につく。前からそうだけど、ちょっとひどくないか・・と思う。

息子の棚にあった『数学2B』という教科書は、その点で、とても好感して見える。
この教科書に濃淡はない。書かれるべきことは書いてある。もちろん、嘘もない。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


2013年6月
 12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
ページトップヘ