日: 2004年8月14日
【大衆食堂の人々】

2004/08/14(土) 03:21

「69 sixty nine」

村上龍の「69 sixty nine」が映画化された。
それなりに楽しい映画だった。

でも、クドカンって、何でこんなに評判いいんだろー?
そんなにいい脚本家かな?
確かにいいものはあるけど、全部いいとは思えない。

それはそれとして、「69」。
映画「69」では、マルクス主義に酔っ払った左翼な学生が大衆として出てくる。
今考えると、左翼が大衆だった時代って不思議。でも、そんな時代があった。
この大衆左翼の自己矛盾やナンセンスさは今となるとよくわかる。
まぁ、それを歴史で知る人間だから。当時は、多くの若者がはまった。

この映画の主人公は、偉い。
と言うか村上龍は偉い。
その時代にあっても、大衆左翼をアホと思っていた。
そして、この映画の主人公は、そのアホを笑いながら青春するマイノリティー。

マイノリティーの目は、大衆が酔いしれる左翼思想のウソっぽさを最初から見抜いている。
村上龍にとって、別に左翼思想や学生運動がイヤなのではなくて、そのウソっぽさがイヤだったんだと思う。

個人的に思うんだけど、この『ウソっぽさ』に大衆は弱い。
なぜか、『ウソっぽさ』に魅かれる。
そして、マイノリティーはそれが嫌い。
ただ、理屈で嫌いなのではない。嗅覚で嫌いなんだよなー。
だから、良い悪いではない。
『ウソっぽさ』というのはあくまでマイノリティー的表現。
それは大衆にすれば「魅惑」
結局、世の中には、その「魅惑」を好きな人と嫌いな人がいるだけ・・。

主人公の彼らが、目覚めるアメリカの文化 -この映画ではクリームやジャニス・ジョプリン- もこの後大衆のものになる。
今、エアロスミスの紙ジャケが出てるけど、ロックの大衆化はアメリカではエアロスミス、日本ではサザンオールスターズが決定打だって思うんだけど、いかが?

【TAROの日記】

2004/08/14(土) 12:22

社員シリーズ(12)

WEB担当 35歳。
漢字が書けないコンピューター男。
自慢じゃないが自宅の住所も漢字で書けない。
まぁ、普段は奥さんが書くから問題も起こらない。

そうそう、漢字だけじゃなかった。
ひらがなも書けない。
この間も「まづ、」と書いていた。
「まず、」と「す」に点々だ!と叫んでも、わかっていないふう。
逆に、「なぜ、”まづ”ではないのか?」と聞く始末。

「そんなものに、”なぜ”もくそもあるかーーー!!」と殴りかかりそうになったが、別に本人はなんとも思っていない。

これは人の退化か?
それとも時代か?

考えてみたら、こいつ個人の問題で人類の問題ではなさそうだが、こいつの開き直りを見ていると、ついつい人類の問題のような気がしてしまう。恐るべし・・

【TAROの日記】

2004/08/14(土) 12:21

「作戦書」

「裏帳簿のススメ」執筆にあたって作成した「作戦書」がある。
名前はかっこ良いが、ただの落書き。
これを「裏帳簿のススメ」の発売にあたり、私の勝手なわがままを聞いてくださった方々にPDFで差し上げた。

お世辞かもしれないので、そんなには喜べないけど、「作戦書」を見ていただいた方々から、「どひゃー」とか「すげー」と言うような感想をいただいた。
正直、恥ずかしかったので一安心。

そういえば、神田昌典先生からは、
「あんたは、ケセラセラなんて言ってるけど、実はかなり緻密な計画立てるんだよね。ケセラセラなんてウソ言っちゃいけないよ」
と言われている。

でも、本人はまじめに「ケセラセラ」と思ってる。
どうも、ここらへんの感じ方のギャップはどうにもならない。
ケセラセラ感に違いなんてないと思うんだけどなー。
ちなみに、私のケセラセラ感は「ストイックに準備をして、フニャフニャになって実行する」ことです。そんなに違わないよね、きっと・・。

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