日: 2006年8月15日
【TAROの日記】

2006/08/15(火) 10:07

やりきれんな~

「やりきれないな~」
という言葉は、とても身体的な言葉だと思う。

東京からなんとか帰ってきて地元に着けば、駅も道もすごい人。
東京駅の「やりきれなさ」から比べると、軽いものだけど、やっぱりやりきれない・・。

高い太陽とムシムシした空気。
そして、日常が壊されているような雰囲気にドヨヨーーンって感じ。

その感じが、カラダの芯から上がってきて、ふと漏れる言葉は「やりきれない」。
こんな身体的な言葉は近頃ないのでは?

「ありがとう」という言葉が、裏側に「ありがとうと言うと、言っている自分に良いことがある」という風に1968年以降に規定されてから、自己愛の強い人を中心に身体性を失った言葉になった(当然、純粋な「ありがとう」には身体性があります)。

でぇ、日本語って言うのは、本来、身体的なものだったわけだけど、大事な言葉から順番に身体性を失っているように思う。
まぁ、「人のため」という言葉に「偽」を当てるくらいセンスのいい民族だから、言葉の純粋性には、最初から疑いをかけていたようだけど、それにしても・・という場面には出くわすよな、最近・・。

だから、「やりきれない」って言葉が、愛おしくなった。
「あー、この言葉は身体的だな~」と思いながら、高い太陽の下で思いっきりやりきれなくなった・・。

そいでもって、それはとっても価値があるとも思った。
この3日間、フォトリのセミナーにおつき合いいただいた方々は、この意味がおわかりいただけることでしょう・・・?

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