【TAROの日記】

2006/09/08(金) 07:01

記憶と言うこと

旨い酒が家にあった。
これが旨い!
大絶賛。

しかし、誰からもらったのか、まったく思いだせない・・。

記憶の映像の中に受け渡し場面がおぼろげにあるけれどダメ。
それも無責任なことに、「へーこんなところでお酒作っているんですか~」と言ったのも覚えているのに、誰から頂いたかもいつ頃のことだったかも思い出せない。

ってことで頂いた方にお礼が言えない。

記憶って何だろうか?
まぁ、これも哲学の世界で毎度毎度語られていること。
実は、人間なんて毎日別な人なんだけど、記憶だけは受け継いでいるのだ・・とかなんとかこうとか・・。

でも、「記憶にない!」というのは、記憶なのか記憶じゃないのか?
そもそも、酒が現れたときは、無からいきなり現れたというのが実感。
当初は「記憶」なんてものが絡む要素はなかった。
飲んだら旨かったので、「誰からもらったんだっけ?」という思考が稼働した。
普通の味だったら、どうだったものやら・・。

でぇ、ここ数週間のことを思い出しながら、全てが「今から見た記憶」に変換していくのがわかる。
事象ってのは、前から見るのと後ろから見るのでは違うのだ。

でもって、酒ごときから、いろいろと記憶について考えていたら、「生きているのか死んでいるのかわからない気持ち」(@ムーンライダーズ)ってのがちょっとわかったような気がした。

いいオヤジがソフィーのように「私ってだーれ?」でもないけれど、んーーー、この頂いた人にお礼も言えない薄情なボクって何でしょう?

「記憶と言うこと」へのコメント(0件)
  1. これ、「無理に哲学」のカテゴリーにしたい内容ですね。
    私は、これと同じ経験から、お酒を贈答する場合に、そのお酒に、名刺大の熨斗を作りました。シール形式で。
    熨斗ですから、私の名前がわかります。
    そして、熨斗の下端部に、小さく、そのお酒を取り扱っている店を印刷しておりました。だって、そのお見せしか卸さない、という蔵元の条件だったそうです。
    そのお酒とは、あたかも辛口日本酒のような純米焼酎(熊本産)ですが、割が合わない、とかいうことで、蔵も徒が生産をやめちゃった。
    ものすごく残念な思いをしましたね。

  2. なぜそういうことをしたのか?
    酒を贈答品にする、ということは、贈り主からすれば、その酒が絶対的にうまいからだし、そして、その酒のファンになってもらいたいからだし、贈られた側の経験として、「うまいっ!」と思うから「また呑みたい」となるのだが、入手先がわからなければ、自分で買いようがない。
    それで取扱店も熨斗に印刷したのだが、もちろん、これば店の宣伝も兼ねている。
    でも、そのお店、このアイディアの本質的な意味が分かっていなかったな。
    あ、今は、ネット検索で、大概のものは入手可能だから、このアイディアは、もう時代遅れ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


2006年9月
 123
45678910
11121314151617
18192021222324
252627282930  
ページトップヘ