【無理に哲学】
『トリノ、24時からの恋人たち』2006/09/11(月) 07:04
お客様と打ち合わせをしていたら言われる。
「ブログを読んでると、暇さえあれば映画見てるよね。よく遊んでいるな~」
そんな風に言われたので、映画のことを独りよがりで書くことは抵抗が出てきた(まぁ、今までもそうだったけど・・)。
ただ、これって自分の記録用に便利なんだよな~。
ってことで、今日も独我。独りよがりだった・・。
『DOGORA』を見て、「リミュエール兄弟」のことを思い出して、そんなことをブログに書いたら、なんと、この映画は「リミュエール兄弟」が引用されてたりする。
世に言う、シンクロニシティーって奴でしょうか?
映像の引用というのは、別に普通だけど、この映画はちょっと違う。
バスターキートンなどの映像が話の本筋に入り込む。
そして、時には、引用された映像が話の流れを支配したりする。
最初は、主人公が鑑賞する映像として現れた引用の素。それが、主人公の行動などを規定しいたりすることが露わになり始めた頃から、画面自体の支配していく。そして、最後は、引用と今の映像のコラボレーション・・。なかなかです。
でもって、こういう引用が現れると、ちょっとボクらも考えなくてはならなくなってきたと思う。
全ての思考は、引用の組み合わせで、目の前の現実は引用というメージャーで見る。
ボクらの直接体験は何か?
それも、引用の組み立てで理解されいるのではないか?
ってなことに気づく。
でね、これは、メタファーや例なんてものより使えますよ。・・・・・と思いました。
そこで哲学。
「ボクたちって、引用の地層みたいなものなのよね」
ってことで、あらためて何でも見ておこうと思うのでした。
ちなみに、ボクは暇ではありません。
時間を意識して作ってやっと遊んでいます・・。
まず、お願い。
このコメントは、公表しないで下さい。
岡本吏郎師への(「氏」の間違いではありませ)、個人的なお礼状だからです。
フォトリーでは、愚息をご指導賜り、ありがとうございました。
フォトリーのセミナーは数々あれど、私が一番買っている講師の下に送り出しました。
九州からの距離で言えば、もちろん、福岡や北九州でのセミナーが近場なのですが、こういう類のセミナーは、講師の人格やら人生経験やら死生観やらなにやらかにやらがバックボーンとなって受講者に大きな影響を与えるものです。
私は、岡本師の安田ゼンジロウやら本田静六やらのご紹介と同時に、ご自身がそれをどのように消化されているかと言う点でも師を高く評価していますし、いわゆる「成功哲学」への「ちょっと待て!」という警告にも十分心してかからねばならないことを知っています。ただ、それは「成功した人が、他人に同じように性交されたくないから」と勘違いする向きが多いので、失敗なさっている様子を黙ってみているのですが、竹田陽一先生の「調子に乗るな」を知ることこそ、本当の成功、「昇り続ける人生」を構築できるのだ、と思うのです。
ところで、今回の「引用の地層」という表現。
それこそ、私はどっかで引用したいです。
うまいっ!
また、こういうことをはじめました。
http://www16.plala.or.jp/LOTUS-BASE/pdm_09.html
http://www16.plala.or.jp/LOTUS-BASE/newpaper.pdf
今までは、新潟の事務所に郵送しておりましたが、こういう手段でお送りいたします。
本当は、メールできちんとご挨拶とともにお知らせしたかったのですが、迷惑メールが多すぎるので、アドレスを切った、とどっかに書き込んであったような記憶があるので、この欄を利用いたしました。
目的外の使用、お許しください。
中村哲元
gokokuji@cameo.plala.or.jp