【無理に哲学】

2006/09/14(木) 07:10

厚み・・?

思うところがあって、今年は来年の計画を立てないでいた。
通常は7月末には立てるので、変な年である。
しかし、ここまで計画を立てる作業を止めていたのは正解だった。

昨日、その作業にいそしみ始めてみる。
すると、事業に厚みが出てきたのがわかる。

毎年、何かの仕事を破壊して、いくつかの仕事を創り、そのぐちゃぐちゃの中で次の構築をしていくわけだけど、どうも来年はそれほどの破壊が必要にないらしい・・・・。

かなり悲観的に行動計画を立てていっても数字はやってくるんだよな・・。これって本当でしょうか?
&こういう状態って、案外、次の旅のお知らせだったりもする。

まぁ、次の旅のお知らせはわかってるし、それに手を付けているからの「厚み」なわけだけど、年輪とか地層というのは良い言葉だな・・。

小さいなりの重層構造は一つ一つはとても脆弱で、生意気言ったら終わるんだけど、それがそれなりに集まると結構なものになってくる。

そこで哲学。
「ゴミもたまると、捨てるのが大変」

「薄く塗る」というのも技術なんだな・・。

「厚み・・?」へのコメント(0件)
  1. 「ゴミもたまると、捨てるのが大変」
    うううむ、これは名言。
    というか、このような視点もありえたか、と驚愕。
    塵も積もれば山となる、という言い伝えられた表現よりも、ずっと素晴らしい。なによりも、生活実感が厚みをつける。
    いかにオカモト事務所に、ゴミが多いことか!
    (お、こりゃ、失礼!)

  2. この数日、ゴミについて考えました。台風13号の影響もあって、辺りはゴミだらけの現実。
    で、ゴミとは、結局は、現在が過去に下す評価だ、と気づきました。
    入手当時は、決してゴミではないのです、しかし、時の経過とともに価値がさがり、ゴミと認定されたときに、処分される。
    これは、安部公房の言を借りれば、
    「現在は、いつも、過去に対して、有罪の判決を下す」と同じことだ、と思い至りました。
    現在には生きていない価値、それが、ゴミ・・・か、と。

  3. ゴミ、・・・この数日間考えている。
    ゴミとは、結局は、物質。モノの最終形態、成れの果て。
    モノ以外にゴミになりうるのか、と考える。
    モノなしのコトはありえないし、モノを使用しない思想も存在しない。
    新しい思想は、モノを介して生活を改変してくる。改変された生活は、ゴミの集積物となる。
    モノをゴミに変えるのは、時間ではなくて時流=思想の変化だろうか。
    オイオイ、岡本さん、とんでもない問題を投げかけたものだな、と、文句の一つも言いたくなる。

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