【無理に哲学】
ボジョレヌーボ2006/11/24(金) 05:51
先週、「ボジョレヌーボを飲む会」なんてのに行った。
「会」なんて言うと大げさで、月に一回飲み会やっている仲間のTさんのお誘いなのだった。
「ワインカラー」のものを身につけること・・という掟書が来てびびったけど、まぁ、そんなことはどうせごまかせるとタカをくくってフラフラ行く。
でもって、ワイン以外に「特別な毛ガニだぁ!!」などと言われて「特別」な食い物も出た。
しかし、どのように「特別」なのかもまったく理解できず、「うまいうまい」という言葉以外は慎重に選びながらただ食った。
かわいそうなことに、料理を出す側の「こだわり」は、まったく「猫に小判」。
ただ、食って、飲んで、世間話をした。
帰りに、「残飯捨ててよ」と言われて、残飯を押し付けられ帰った。
そこで哲学。
「ネコにも小判の価値はわかるが、本当の”お楽しみ”までは理解できない」
そういえば、「何か音楽を持ってきなさい」という命令に、ボジョレヌーボに合う選曲なんてことをして、CDを15枚ほど持参。
どれもこれも、名演&もう完璧にボジョレヌーボな選曲だったのに、参加者の誰も音楽のことなんてどうでも良くて食って飲むだけ。
結局、ここでもネコに小判(料理を出した人の悔しさがここでわかった!)。
翌日、家に帰って、良いステレオで聞きなおしをしましたよ。
音が出た瞬間、飲みなおしたくなりましたね・・。
んー、今度は、我が家で、旬のものを食いながら冷酒を飲むというのをやるか?
でも、結局、どんなステレオで聞かせても、誰も聞いちゃいないから毛ガニとポトフとパスタとサラダとパン同様の運命になるな・・。
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