【苦しめTAROお仕事LIVE】

2014/03/18(火) 08:48

レイヤーが上がってしまう

4月のセミナーの準備が8割終わった。
昨年で終わりにしたつもりのセミナーだったが、要望をそれなりに寄せられて今年もやることにしたけれど、最早、同じ内容は私が嫌だということで大幅に改変。おかげさまで、とても忙しい日々を送らせていただきました。

でぇ、こういうノリの場合、当社のセミナーは既に受けたことがある人たちが大量に押し寄せるのが常で、初めてこのセミナーに参加する方々は3割に満たない。3割近くは初めてで、残りは内容を知っている人達という主催者泣かせの参加者構成である。

そういうことを意識しがら、コンテンツを詰めていくわけでけれど、当然、あっちが立てばこっちが立たず・・で、かなりエイヤーとコンテンツを変えた部分もある。また、内容を深めつつ、初心者も興味を持って聞けるように工夫した箇所もあり、すでにコンテンツは完成形だと思っていたけれど、やればできるというか何とか言うか・・。さらに深めることは可能なのだな~と思った。

面白いのは、前コンテンツで重要な4本柱としたもののうちの2つがパーツになってしまったこと。
これは作成しながら笑った。
つまり、話のレイヤーが一段上がってしまっている・・ということだ。
ただ、初心者もいるから、微妙な調整で2つは柱で残った。

いずれにしても、コンテンツの内容は間違いなく一段格調が高くなってしまったので、そこをライブで状況に合わせて調整することになりそうだ。こういうのも悪くはない。

しかし改めて気づいた。
昔は、意図的にレイヤーをあげていって今に至ったわけだけれど、ここのところ『Dファクトリー』のせいもあって、強制的にレイヤーが上がってしまっている・・という事実。
まー、仕事なんていうのは、一つの勝負なので、それでいいんだけど、ドンドン、ドンドン、マイナーになっていくな~と思うのだった。まーそれもその方がいい・・というのは本音だけど・・。
ただ、仕事師としてはいいけど、世間的には片端になっていくよなー

【TAROの日記】

2014/03/17(月) 08:31

きれいは、きたない。きたないは、きれい。

・・・と『マクベス』の有名な言葉をタイトルにしていいのか?
まー、ブログだから何でもいいや・・と考えつつ、最近の外の景色に思うのだった。

雪が溶けて、そろそろ土が見えはじめる。
冬の間は、イヤーな雪も、土が見えはじめると、「あー、消えないで!」と思う。
土が出て雑草が出てくることを考えると嫌になってしまうのだ。
冬囲いも取らなければならないし、花粉症もはじまるし・・。

考えてみると、小学校で習ったドミソの和音、いわゆるCと言うコードは、同時に、Am7だったりする。
同じ音なのに、背景と文脈で、雰囲気は真逆になるのだ。
さらに、Am(-5)みたいなくらーーーいコードで、E♭△7のようなメチャ明るいスケールがピッタシはまってしまう。

さらにさらに、暴走して書くと、私は、むかーーし、Am(-5)がF7(9)でもあることを見つけて驚愕し、さらにFのマイナーペンタに、A♭のコードが隠れていて、「なんで、A♭△7が使えんるジャン」と仰天しつつ、世の中は、何でもアリなのかもしれない・・と思うようになって早云十年が経つ。

さらにさらに、ジョー・パスを知ったら、その何でもアリというのが、本当に何でもアリで、「着地点だけ気をつけろよ!」と言われてるみたいで、のけぞった。

しかし、同時に、何でもアリだから、すごーーくセンスは問われるということを知って、基礎の大切さを改めて知った。
元に戻ってしまったのである・・。

そういうことで、結局、雪があろうと、なかろうと、センスは問われるのである・・・・・・。アーメン!

【TAROの日記】

2014/03/14(金) 08:30

ベンチ再び

昨日のベンチのお話。
運動オタクの人には「何を言っているのだ!」という話だと思う。

ただ、あの台の名前がいっそのこと”カバマタサルマエル”みたいな名前なら別にどうでもいいことなのだと思う。
なまじ”ベンチ”なんて普遍的なネーミングなので、素人は困るのだ。「へ?ベンチなの・・、あーそうなの」である。

オタク同士の会話は、門外漢が聞くと記号が飛び交い理解不能である。
私もそれなりの分野でオタク度が高いので、時々、普通に話しているつもりなのに、困った顔をされることが多い。

この間、あるギター弾きと話をしていた、「ここは、”マイナスナイン”だから、まー”ディミニッシュでもいいな・・」って一言を言ったら、もう金輪際通じなくて悪戦苦闘した。楽器やってんだから、それくらい知ってろよ!と言いたいとこだけれど、オタク度の違いは言葉に表れるのだった。

でぇ、”ベンチ”。
私が知らないだけもしれないが(ちなみに、当社の社員は全員知らなくて、私の妻も知らなかった。もちろん、これで何が言えるわけでもないが・・)、私的には、結構、オタク度の高い言葉に思える。
ホワイトベースを”木馬”と呼ぶようなかっこよさもあったりする。
そう考えると、”カバマタサルマエル”では普通なのだと思えてくるのが不思議だ。

でぇ、思うのだった。
“ベンチ”は正式名なのか、”木馬”のようなアダ名なのか・・・?
オタク度の高い分野は、”ベンチ”のような普遍的言葉に展開したアダ名は多い。
“ハコ”とか”イシ”とか”サラ”とか・・・・・・・・・。

しかし、調べるのも面倒くさし、運動オタクにでも聞いてみよう。そう考えたら、ふと4、5人の顔が浮かんだ。
ただ、その顔を浮かべてみると、そんなことどうでもいい筋肉バカばかりだから、知らないかもしれないな・・。

【TAROの日記】

2014/03/13(木) 08:28

ベンチ・・というのか。

仕事の合間に、身体を伸ばそうと思いベンチを買った。
ジムとかに行くと置いてある”あのベンチみたいな道具”である。

今、↑のようなことを書いてみると言葉の表現が難しいと知る。
結局、”あのベンチみたいな道具”という表現になってしまったが、そもそもが”あの道具”の名前は『ベンチ』なのだから、おかしなことを言っていることになる。

しかし、私は、”この道具”の検索に苦労をした。
『ベンチ』などという名前は知らないから、「運動 台」みたいな言葉を色々ためして入れてみた。
これがなかなかヒットせず、いろいろやっていたら少し近いものが現れ出す。
そして、それらのサイトに『ベンチ』といいう表現はあるのだけど、それが”あの道具”の名前とは思わず(ベンチって言えば、公園のベンチだと思うので、アダ名か?ぐらいにしか思えなかった)、そんなこんなで、「あー、”ベンチ”って名前なんだ~」と気づくのにそれなりにかかった。バカであるが、そんなものである。

そして、名前がわかったので、アマゾンに行って買った。
たくさんの訪れたサイトはアマゾンのための付属サイトみたいなものだったのだなーと気の毒に思いつつ、ここにインターネットにおける2つの原則について、改めて体験することになった。あな恐ろしや!!

ところで、せっかく名前を知ったのに、『ベンチ』の説明には相変わらず苦労する。
家に帰って、妻に事務所に一つ買ったと説明するのに、やっぱり苦労した。
「あれって、”ベンチ”というのだそうだ。ベンチプレスとは、そこから来ているようだな~」くらいの供え話にしかならない。
何か、簡潔な表現はないものか。

今のところは、「あの腹筋やったり身体伸ばしたりする台で、上の部分が斜めにしたりできて、ジムとかに置いてあるやつ」と言うのが精一杯の表現で、面倒臭いったらありゃしない・・。

【TAROの日記】

2014/03/11(火) 08:27

ご自由にテクスト

あえてテクストと表現しつつ、読み手がテクストをどう読むかは読み手の自由である・・とバルトが言って、「そりゃーもっともだ」とみんなも理解して相当の年月が経っている。

ところが、たまにテレビを見てみると、テクストの押し付けに辟易する。
ちょうど東北の震災から3年というのもあり、震災関連の映像が多く流れている。その映像にに改めて驚愕しつつも、そこで語られるテクストと後付バイアスは何のだろうか?

震災のテクストはまだいい。
そこには人類が共通しても持つ何かがあるからだ。
しかし、同時に、体験した現場の人とその他大勢との溝は埋まらない。埋まるわけがない。
テレビのテクストは、それを強引に埋めようとしているように感じてしまう。
それは、そもそもの人間のどうしようもなさを見ない、認めないことと言ってもいいだろう。

しかし、そこを認める発信者は少数だと思う。
なぜならば、そこを認めてしまうことは、発信者自身の業の強さに直面することになるはずだからだ。

そして、そのことは読み手自身の問題を素通りしたテクスト論には意味が無いことも表していると思う。
自分だけをカッコにくくってモノを読み解く。世の中、そんなものばかりだが、それがどれだけいろんなことを遠回りさせていることか・・。

ただ、こんなことを書いている私も自分をカッコにくくることはよくやっていると思う。
それも人間だから当然だ。
しかし、だからこそ、そこに意図的でありたいとは思っている。

【TAROの日記】

2014/03/10(月) 08:36

大物3つを連チャンで見たので・・。

先週のストーンズのライブは素晴らしかった。
ミック・テイラー効果か2006年のライブよりも素晴らしいと思った。
最強のロックンロール・バンドというのは表向きのネーミングなんかではない・・とつくづく感じた。
そもそも、この全身を覆う満足感は言語化が不能。

それにして、そんな凄いライブをゴールデン・サークル席の、しかもベストな位置で見ることができたのが凄い。
オークションで28万円がついていた・・という話だけど、価値はそれ以上だったかもしれない。

白眉は、『ギミー・シェルター』。もちろん、リサ・フィッシャーとミックとのディオである。
これを私のほんの目の前で歌うのだ。
目の前で起きていることが信じられない・・って思うんだなって思いながら堪能した。

そういうすごい場所なんだけれど、周辺の方々は明らかにストーンズを知らない。
これは、ポールやクラプトなど有名ミュージシャンで毎度感じることだ(ちなみに、ポリス再結成あたりでは感じない)。
「どうして来ているんだろ?」と思えたりもする。

遠いスタンド席に騒いでいる恵まれない人々の方が明らかにファン度が濃い。
あの人たちが前に来るべきではないか・・などと発言すると怒られそうだが、私は、あの人たちと一音鳴ったらもうわかるという空気の中で騒ぎたかった。

ところで、次はボブ・ディランである。
名前を知らない人はいないと思うが、日本では音楽はあまり聞かれていない有名人である。
面白いのは、かなりの音楽好きでもディランはあまり聞いたことがないという人が多いこと。

さらに、彼のライブは毎回セットリストが違う上に、アレンジが原曲から大きく離れるので、サビにくるまで何だかわからない・・というものが多数。場合によっては最後までわからない。

演劇も復活したプロレスも濃いファン以外を集めて成功している。
あんまり知らないけどちょっと知っているお客さんは大切だ。
その方々のお陰でライブは成立する。
だから、当初は濃いファンだけを相手にやっていたミュージシャンも時代とともに大衆化する。

ところが、ディランの位置は少々違う。
過激化しながら、若い聞き手を集めている。

ディランには、年末のアトム・フォー・ピースのように凄いことになることを期待している(おそらくそうなる)。
今回のストーンズのライブには、そんなディランの持つ若い空気があった。
だから、凄かった。
それは、ポールにも少しだけあったような気がして、クラプトンにはまったくないものだった。

なお、ベックにもそれがあると期待している・・。

【TAROの日記】

2014/03/03(月) 08:28

息子とエンタメ

息子に付き合って、サカナクションのホールライブに行く。
前から6番目真ん中という好位置だった。
約3時間の立ちんぼと車の往復3時間でヘトヘトになった(運転が意外に疲れた)

70年代の雰囲気を彷彿させるオープニング。リードギターにいたってはほぼPAを通さないという演出。
そして、執拗にリフを聞かせ続ける。

「なるほどー、踊りまくってね!ってことね」と思ったのは正解で、その後、順次80年代、90年代、21世紀のフロアの再現を意図したようなリズムの展開になる。これには唸る(ただし、どうも80年代風は、個人的に好きではない)。

このバンドはデビュー時に注目していたものの、その後はあまり興味がなくなって、今年の紅白でその成長した姿を見せてもらったけれど、生では意外に黒いので驚いた。ベースがいい。
くるり+スーパーカーというイメージは壊れ、表向きのポップさの奥底にある黒さにセンスを感じた。
MCの時に遊びで、EかE♭のファンキーなグルーブをやっていたけど、あーいうのをガーンとやりたい衝動とポップさの融合に苦労しているのね!と思った。

シングルの曲を全部演るというライブだったそうで、初期しか知らない私にも楽しいものだったけれど、ちょっと似たような曲が続く場面があって、そこは少々困った。

息子がオヤジとライブに行くというのは不幸だと思う(本人にもそんなことを言った)。
しかし、オヤジも好きなのだから仕方がない。
息子のライブ初体験は、チケット購入から、車で送り迎えまで、上げ膳据え膳になってしまった。時代もあるとは思うけれど、正しいライブ体験ではない。

仕方がないので、帰りの車の中で、父がどうしてエンタメが好きなのかを語る。
いきなり、「おまえ、女の子の裸好きだろ?」と話し始めたので、戸惑っていたが、意図はわかったと思う。
もし、私の意図に同意するなら、同じように見てみよ・・と心のなかで思った。

【TAROの日記】

2014/02/28(金) 08:29

ブログを書くことについて

昨日、ある人から電話で言われた。
「最近のブログはいいですねー」

こう言われてうれしくないわけはないが、私は言った。
「どうも、すいません。時間がなくて、バタバタ書くのであーなってしまうんですよーぉ」

すると、相手も言った。
「そうですよ、やめてくださいよ。今日(2月27日)くらいのは、全然、いいですけど、その前の何個かは、困りますねー」

・・・・・・・・・

ブログを書くことは、毎朝、神棚にお参りしているのに似ている。
はじめるとやめられないのだ。
昔は、もっとひどかった。出張に行った時も現地で書いていた。
でも、今は、新潟にいる時しか書かないから書く日数は昔の半分以下だと思うけれど、それでもやめられない。

問題は、書く内容である。
温度管理が微妙なのだ。
特に、私は、一応、いろんな文章を有料で見ていただいている身なので、こういうところの匙加減は悩みだ。
いっそ開き直って、まとめたら本になるようなことを書くという方法もないこともないが、それをするには圧倒的に時間が足りない。

そんなわけで、いろんな中途半端な位置にいて、ブログを書いている。
その中でも時間がないというのが最も大きな重力だから、時々、書くことの温度がぐちゃくちゃになりそうになる。
だから、過去に書いたブログの内容を有料の媒体で引用して、さらに奥のことを書くなんて行為も、年に何回か起こっている。

基本、ブログは、ご挨拶だと思っている。
「今日もなんとか生きています」という報告だ。そんなものはSNSでもできるけど、私はSNSのウザったさが大嫌いなので、意地を張っている。

・・と言って、「今日は、どこどこ行ってました」とか「誰々に会いました」などと書くこともウザいと思っているので、そういうことも書きたくない。

挨拶だからなんでもいいはずなのだが、口に出して話さないことは、書くこともできないわけで、そうすると、私は、仕事と音楽と本のことくらいしか話さない片端な人なので、まともに挨拶もできす、事故って、時々、「今日のブログ良かったよ」などと言われてしまっている(こういう長い文章をダラダラ書くという方法は大好きだけど、ブログやメルマでは許せれない匂いがあって、困っている・・)。

意外に、これは悩ましいのだ。
それでも、続ける。
あまり面白くないことを書いていたら、それが私の意思なのだとご理解ください。

【TAROの日記】

2014/02/27(木) 08:30

ビットコイン

ビット・コインは、普通に考えれば、ジョン・ローのミッシシッピー計画みたいなもの・・と直感してしまうところ。
しかし、左翼的な思考があると、その反政府的なところが魅力である。
さらに、ジョン・ローの錬金術の仕組みそのものは現在も残っているわけで、ビット・コインにもその可能性を見てしまうところはある。
だから、興味は持っていた。

しかし、投資するまでに至らない。
なぜなら、今回のようなことが起こるリスクを無視できなかったから。

それが起きた。
ミッシッシピー流域に大きな台風が来たみたいなもので、膨らんだ期待はしぼんだ。

ヘッジファンドなども投資をしていたというけれど、実態はわからない。
いずれにしても小さな市場なので、大きな影響はないのだろう。

結局、某社の玄関にわざわざ行ってしまうような人たちが犠牲者だ。
フタを開けてみると、そこらで起きている金融詐欺事件と同じような景色に唖然とする。

信用というものの本質がどこにあるのかを垣間見せてくれた景色でもある。
いつでも、”まともさ”というものを基準にすればいいという話でもあり、時代遅れなどという言葉は、あんまり意味がないという話でもある。

【TAROの日記】

2014/02/26(水) 08:30

PM2.5警報

家を出る間際に、警報が出ていると言われる。
外は良い天気、春めいているというのに、景色の明るさとは真逆で不気味さが増す。

かつてロンドンの霧として有名だったスモッグが、対岸のフランスなどにどんな影響を及ぼしたかは知らない。
多数の死者を出したわけだから、対岸とはいえ影響がなかったとは考えずらい。

中国で大量死者が出るのが何年後かはわからないけれど、歴史が繰り返すとすればまだ当分先で、本気で改善をはじめるのもまだ先だろう。

境界線は、リスクヘッジだ。
昔の日本人が鬼や天狗などで象徴していた境界線は必要なのだ。
境界線がないというのは怖いのである。

ところが、ネットを代表に、私たちの目の前から境界線は消えた。
今の子供に、ネットでそれ以上先まで行くと鬼が出るよ・・なんて言っても笑われるだけだ。

しかし、論理的に、どうして危ないかを説明するのはナンセンスだ。
そこに、鬼がいるから・・と言い切ったほうが絶対的に良いと思う。

ただし、中国の鬼は、あっちにいるままではない。むこうからやってきてしまう。
境界線の消失は、境界線そのものだった鬼の流入さえもたらす。

そして、私たちは、砂山と化す(このメタファーはほとんどの人がわからんだろうけど、時間がないので、このまま押し切る)。
後は運命を待つだけだ。

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