【無理に哲学】
『ブラスト』2006/10/18(水) 07:38
ブルーオーシャンのチャン・キムは、『シルク・ド・ソレイユ』を例に上げていたと思うけど、『ブラスト』もブルーオーシャンでしょう(あくまでも、結果論だと思うけど・・)。
その『ブラスト』を家族で見てきました。
普段、寂しい東京の夜を一人でコンサートなどを見て過ごしているけど、家族から見れば、「あんたばっかーーー!」ってことなので、お連れ申し上げました。
アメリカのエンターテイメントのどん欲性とほど良い大衆性。そして、かなり高い目標をクリアーしていく筋肉質には驚く。
アメリカの筋肉なのだよ、『ブラスト』は・・。
でぇ、その筋肉のどん欲性。
これはマドンナにも通じることだけど、まぁ、スゴイね。
日本太鼓もアボリジニもガムランも、ロドリーゴやバースタイン、B・ウィルソンと同じ文脈で処理。
そのチャンプルーなやり口と、それら全てがアメリカ筋肉色で処理される文化帝国主義的なパワー。
いやー参りました・・。
そこで、思いっきり「コレデモカー」って言われながら、哲学。
「文化のフラット化は、アメリカという文脈から派生して進んでいる」
あー、「濃い」のが聞きたいな~と反動で思うなーぁ。
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