日: 2011年10月13日
【TAROの日記】

2011/10/13(木) 08:35

わからないことはわからないでいいんだろうか、どうなんだ・・?

最近、わからないで良かったのに、知ってしまって気分を悪くしていることがある。

それは、コーヒー。

コーヒーは、あまり好きじゃなかった。
だから、滅多に飲まなかった。

ところが、ブルックスのドリップパックが意外にも旨いではないか!
手軽でおいしいのだから、クセになって当たり前。

そこで、ドリップパックにはまり、いろいろなメーカーのものを買って飲んでいた。
ちなみに、最も旨かったのは、コンビニで売っているスタバのもの。あれは別ものだと思った。

そんなことから、最近、毎月届く、土居珈琲を飲むようになった。
スタッフの朝の楽しみだけど、私は口にすることもなかった。
けれど、匂いに負けて飲むようになってしまったのだった。
そして、そんな習慣が続き始めたら、楽しみが一つ減ったことに気づいた。

他のコーヒーがおいしくない・・・・・・・・。

実は、どんなに言われようと、私には、土居珈琲のどこがうまいのかわからなかった。
スタッフは大好きだけど、別に、コーヒーなんて一緒だと思っていた。

ところが、気づいてみたら、ブルックスに代表されるドリップパックがまったくおいしくない!!
毎日のお昼の楽しみが一つ減ってしまったのだった。
私の脇机には、ブルックスのドリップパックが大量にあるんだが、どうしてくれるんだい!である。

しかし、考えてしまう。
良い物を知らない方が良かったのか、それとも知った方が良かったのか?

良い物を良いとわかったのはいいけど、楽しみの一つが奪われたのも事実。そこら辺の整理がつかない。

それと、良い物が誰にでもわかる・・というものではないことも改めて考えてしまった。
私のように、わからん奴にはわからん・・のだ。

そして、わからん奴にはわからんから、世の中には、「手軽」が氾濫する。
カラオケのようなスカスカのサウンドみたいな「仕事」が氾濫する。

それを誰もが、わかって選択しているなら、いいけれど、そうではない。
極端な話、カラオケの音の方が、本物のサウンドよりも良い・・という人がいてもおかしくない。
私だって、ドリップパックのコーヒで十分うまいと思っていた。
そして、それで幸せなのだ。

鉄道以後の資本主義が見つけてしまったもの。そして、その見つけたものが主流の社会というのは、なんとも摩訶不思議だ。
生活は豊かになった。それは間違いない。しかし、「手軽」な延長物は、私たちを奴隷化する。ホールが60年代に見立てたとおりだ。

んー、気分は複雑だ。
自分が、良い物を良いとわかるのに時間が凄くかかったのも腹立たしいし
良い物を誰もが良いと思うとは限らないことも腹立たしい。
そして、良い物があるから幸せ・・ってことでもないというのも腹立たしい。
「別にこんなものでいいじゃん」というのも生き方の一つだし、それを否定したって仕方がない・・というのもなぜか腹立たしい。

個人的には、人生はそんなに長くないので、あんまり「別にこんなものでいいじゃん」と言わないようにしようと思った。
世の中には、弾かれなくなった普及品のギターやピアノが溢れているのも現実だもんな・・。

2011年10月
 12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31  
ページトップヘ