【TAROの日記】
降臨52008/02/01(金) 05:21
さて、このテーマも最後になりました。
最後に残る問題は、「覚悟と準備」です。
「覚悟と準備」は、経験を積むにつれて減ります。
これはどうにもなりません。
修行を積んでいる人は別かもしれませんが、世俗で生きるものには重力です。
ツェッペリンの3人は何かを失い、それを得たようです(あくまでも想像・・)。
この現実に対する対処は何でしょうか?
結局、愚直に、自分の心の中を点検するしかありません。
いつも「覚悟と準備」を確認する。それしかないでしょう。
でも、そこがわかっていれば、大きな失敗はないと断言できます。
こうして、今日も、効率の悪い作業が日常の中で重要な位置を占めることになります。
それは、一つの価値観から見たらナンセンスに見えても意味のあることなのです。このセンスは、ひと潜りしないとわからない。ここが組織における文化の伝播のむずかしさです
組織の全員が、ひと潜りしてくれるといいんですけどね。
そして、そういうことを言っている本人が、さらに深く潜れなくては恥ずかしい話でしかありません。
ツェッペリンの復活の復活のレポートを読んでずいぶんいろいろなことを考えさせられました。
以前、このブログにも「自分とは何か?」というテーマがあったけど、その続編のよう。
時間とは自分だ、という問題と関連していると見える。
「覚悟と準備」はどこかで見たフレーズだ。
生き抜く覚悟と死ぬ準備、だったか、それとも
生きる準備と死ぬ覚悟、だったか・・・
今回も、いい刺激を賜りました。感謝!