【TAROの日記】
どうして若くなっているのか?32008/02/27(水) 05:04
子供のままでも生きていけてしまう世の中は、おじさんを若くし、子供を子供のままにし、思春期を遅らせ、世の中から多くのイニシエーションを奪ってしまっている・・・なんてことを昨日は一応書いたつもりなのですが、例外があるんですよねー。
それが、正しいおじさんであります。
まぁ、心の中は子供なのかもしれないけれど、とりあえず、外見がおじさんなのだ。
そういえば、当社にも、若干一名、おじさんがいた。
昨年、退職したので、今は、おじさんがいない。
でぇ、彼がいた場面といない場面を考えてみると、トトロが1匹いなくなった・・という感じかな?
抱っこしたくなる存在がいなくなったってこと。
もう少し言葉を変えると、”安心”ということでしょうか?
昔のおじさんの役目の一つは”安心感”だったと思うんだよな。
だから、若いおじさんというのは、”安心感”の対極にある。
ミック・ジャガーにもスティングにも加藤和彦にも安心感なんて感じないでしょ。
父という存在もそうだったよな。
大黒柱という表現があったくらいです。
だから、今、私という父親は、子供から”安心感”とか”大黒柱”なんていう位置にはいないと思う。
TA的に言うと「保護P」の強い人が減ったんだろうな・・。
昔も今も、保護的な要素が強い人に名経営者が多いと思うんだけど、でもでも、明治時代の名経営者には、そうじゃない人が多いでしょう。
んー、待てよ。
確かに、生存の恐怖がなくなったことが、いつまでも私たちを子供にしているとは思うけど、それだけじゃないな・・。
なるほど、明治時代かーーーーぁ。
おじさんの中には、オヤジ(やや蔑称的・エロおやじとも)とおっちゃん(ちょっと可愛い憎めない感じ)とオジサマ(ダンディ)というようないくつか種類があると思います。
カテゴリー別にしてその辺のおじさんたちを見るようにすると、そもそも「おじさん」と一言で言ってしまうには全然違うような存在ですよね。