2008 - 2009
年末のご挨拶(2008年末)
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少額の金しか儲けようとしない男には、迷信は必要ない。
ところが、大金儲ける常習的賭博人は、
まぎれもなく迷信的である。『男はつらいよ』で寅さんが「それを言っちゃー、おしまいよ」と言い放った
1969年に、グスタフ・ヤホダが言った言葉です。この年は、ハナ肇が「あっと驚くタメゴロー」と叫んだ年でもありますが、今年は、
迷信的な人たちが、正に、「あっと驚くタメゴロー」と叫んだ年になりました。ここ数年、軽薄な迷信が多く流行りました。
1969年当時の学生達は、世相の多くを「ナンセンス」と断罪しましたが、
今の若者達には、「ナンセンス」という言葉さえ浮かぶことはなく、
「ナンセンス」に弄ばれました。そして、経営者たちの中にも同様の人たちがたくさんいました。
そうした“迷信的” “ナンセンス”な時代が終わりました。
大橋巨泉ならば、1969年と同様に「やったぜ、ベイビー」と叫んでいるかも
しれません。しかし、迷信の何もかもが悪いというわけではありません。
ある種の迷信やナンセンスは、グスタフ・ヤホダが言うように、
不安を減ずる機能がありますから、時代を進歩させる上で有効な役割があるはずです。ですから、ここ数年が、たとえ軽薄な時代であったとしても、
時代が大きく進んだのも事実でしょう。私たちがこれからやるべきことは、大きく進んだ時代がやり残してきたこと、
忘れてきたことにフォーカスすることです。
そして、それを埋めていくことです。素人では登れない厳冬期の登山がはじまりますが、視界は良好です。
吹雪いているのに視界は良好。
こういう時代をチャンスと言う以外に私は表現方法を知りません。確かに、過去の数字と単純に比べてしまうと、評価できない現象も多くなるでしょう。
しかし、それは評価方法が変わってしまったと素直に受け取りましょう。いずれにしても、チャンスの時代です。
視界は良好です。
そして、正直者がバカを見ない良い時代がやってきます。多くの人にとって人生の後半戦を決める重要な3年間がはじまります。
みなさま、本年も大変お世話になりました。
個人的なことになりますが、日常生活の微妙な変化が
以前よりも分かるようになった一年でした。
その微妙な変化にフォーカスすると、
ここからの人生が今までの延長線にはない・・ということを少し感じます。その微妙な変化は、今の私には恐怖でも、
どこかの時点で「当たり前」になり、「過去」になる。
何度も繰り返している人生の過程ですが、突入前というのは嫌なものです。また、次の「一年」がはじまります。
“次”という言葉に、しみじみと幸せを感じながら、その“次”に向かおうと思います。
来年もよろしくお願いします。2008年12月30日
年始のご挨拶(2009年1月1日)
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明けましておめでとうございます。
昔、“正月”は一大イベントでした。
昔の人は、“事始め”といって12月13日から正月の準備を開始しました。
神様をお迎えするために、家の玄関に目印として門松を立て、鏡餅を飾り、
おせち料理を用意しました。
神様に供えられた餅やみかんは「年玉」と呼ばれ、これらを食べることで
神様の生命力にあやかれると言われました。人々は自分たちの力だけではどうにもならないものがあることを
知り抜いていたのでしょう。
そうした人々の一大イベントが“正月”でした。初詣はするものの、“神のおかげ”を忘れてしまった日本人にとって、
今年からの数年間は辛い時代になりそうです。では、そうした辛い時代は、生きていくことが大変な時代なのでしょうか。
そんなことはありません。
“辛い時代”と表現しましたが、本来の表現は違います。「回帰の時代」という表現が正しい表現です。
「回帰の時代」がはじまったのです。
門松が玄関からなくなり、
おせち料理は正月の保存食と言われるようになり、
年玉は単なる現金に変わった日本。
その日本で強烈な回帰現象が起こりはじめた。
それがこれからはじまる痛みです。「不況のせいで・・・」
テレビなどでよく聞かれる言葉です。
しかし、私たちには関係のない言葉です。私たちの合い言葉は、
“不況のおかげ”
一年が過ぎたときに、
「不況のおかげで会社がさらによくなったね」
と言えるような一年にする。それが私たちの行く先です。また、素晴らしい一年がはじまります。
2009年1月1日
【追伸】
同文章を少し違ったニュアンスでブログにもアップしております。
興味のある方はそちらも見てみてください。