2018 - 2019
年末のご挨拶(2018年末)
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「生きている」と「生きていく」
(清水 博)
この2つの言葉を過去形にすると、面白いです。
どちらも「生きていた」になります。2018年、私たちは生きていました。
それは、もう間違いがありません。でも、それが「生きている」だったのか、
それとも「生きていく」だったのか・・・・・・・・?おそらく、どちらもです。
「生きていく」は“いのちの対象化”です。
そして、自己の未来を問う“活動”です。
ですから、能動的です。それに対して、
「生きている」は、いのちに支配されている“状態”です。だから、こう思います。
「いのちに逆らう」ってことに、意図的でいたいよな・・・・・・。
年末に、しち面倒くさいことを書いています。
でも、今年はそんなことをとても考えさせられる1年でした。そして、そんな1年を過ごしてみて得た結論は、
実に当たり前のことでした。一人じゃ生きられない。
2018年、私は生きていました。
そして、その時間の多くをたくさんの方々と過ごさせていただきました。
私のワガママな「生きていく」にお付き合いいただいた皆さまには、
心からお礼申し上げます。おそらく、来年もうるさいです(笑)。
たくさん「生きていく」ためには、多くの人を巻き込まなくてはいけません。
できましたら、今年同様にお付き合いのほどをよろしくお願いいたします。お互いの「生きていく」が、うまく交わり合う。
そして、良き「生きていた」になる。
そうした良き関係が続くことを祈念しつつ、
いま一度あらためてお礼申し上げます。ありがとうございました。
2018年12月28日
年始のご挨拶(2019年1月1日)
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あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。今年は、次の一節を確認するのが相応しいかと思います。
「至誠の道は、以って前知すべし」
意味は、こんな感じです。
「物事は、前もって予知できるよ」
今、時代の方向ははっきり見えています。
ちゃんと見なければ、見えませんが、まちがいなく明快です。
時代は、明瞭にそこに佇んでいます。ですから、必要なのは、対応する力、勇気だけです。
年末のご挨拶では、「生きている」と「生きていく」について、
書かせていただきました。私たち人間は、動物同様に、
ただ「生きている」だけの時代が長く続きました。
でも、今、文明は、私たちに「生きていく」を与えてくれています。
そして、「生きている」から「生きていく」への転換を問い続けています。くどいですが、時代の方向は、はっきり見えています。
これを僥倖と言わずに、なんと言えばいいのでしょうか。また1年がはじまります。
今年もよろしくお願いします。2019年1月1日