2010 - 2011
年末のご挨拶(2010年末)
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私たちには、ずっと昔のことですが、
“産業革命”
と言われるイベントがありました。
“産業革命”が、「今日から“産業革命”で~す」と
誰かが言って突入するわけはなく、後に、そうネーミングされた
一連の時代の変化のことですが、人々の価値観を著しく変えていきました。その価値観の変化が一気に変わったのか、徐々に変わったのかは、わかりません。
・・が、“産業革命”を契機に、
人々は、それまでの中世的な世界観とは真逆の気分を手に入れることになりました。その気分を、ここでは次のように表現しておきましょう。
「成長」
または、
「もっと」もちろん、そうした気分は、ピサロがインカ帝国を滅ぼし、
ヨーロッパに銀が流入した時からはじまっていましたが、その気分の「大衆化」は、
“産業革命”によってもたらされました。私たちには、それほど昔のことではありませんが、
『スモール イズ ビューティフル』
という本が1973年に出版されベストセラーになりました。
1973年は、オイルショックが勃発した年でもありましたが、
この本が売れる前の60年代後半には、カウンターカルチャーが一世風靡。
62年にはレイチェル・カーソンの『沈黙の春』が出版されています。さらに、1920年まで遡れば、エーリッヒ・ショイルマンによって出版された
『パパラギ』という本もありました。『パパラギ』は、サモアの酋長ツイアピの目を通して、
文明の批判が展開される寓話です。つまり、産業革命的な価値観の批判が、20世紀に入る頃から、
少しずつ出現しはじめていたのです。そして、21世紀。
“地球環境”というネーミングの元で、その価値観は「大衆化」していきました。海水浴などのお金持ちの遊びが、大衆の遊びに変化したように
こうした「価値観の大衆化」が、20世紀の終わりから21世紀にかけて
起きたことです。おそらく、ここまでが“銀の流入”と同様の前哨戦です。
そろそろ、本番がはじまります。
人々が、諸問題をモノの生産と購入で解決しようとした時代の終わり。
そして、新しい中世のはじまりです。モノを豊富にするというムーブメントの担い手(日本では、松下幸之助や中内功)が
退場した後の世界は、まだまだ、混沌の中にありますが、次の10年で、
新しい何かが見えてくるはずです。その新しい何かは、
モノやノウハウで解決しようとする古い思考のままでは見えません。企業経営の価値基準が大きく揺さぶられ、新たな価値基準を手に入れる。
そうした10年のはじまりです。星の王子様でもいいのですが、
ここは、高田渡さんの詩で締めましょう。見えるモノは、人のものだよ。
見えないモノは、僕らのものだよ。
(『漣』より)
今年も大変お世話になりました。
また、次の「一年」がはじまります。
しみじみと今の時代を感じながら、お互い、“次”に向かいましょう。来年もよろしくお願いします。
2010年12月30日
年始のご挨拶(2011年1月1日)
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私は、子どもの頃、牛が殺される瞬間を見たことがあります。
冒頭から、いきなりグロテスクなことを書いて申し訳ありません。
しかし、今年は、どうしてもこの一行目からはじめたいと思いました。資本主義のシステムは、私たちに多くの便利をもたらしてくれました。
おかげで、私たちが口にするものがどういう過程を通ったものかを
知る必要がなくなっています。私は、牛の屠殺シーンを見てから、何日かは肉を食べることができなくなりましたが、
そういう心配はいらないようになっています。私たちは、多くの人に支えられて生きています。
これは、中世が近代になり、現代になっても 何も変わっていませんが、
その“支え合い”の構造は、資本主義のシステムが、見えないものにしています。牛の屠殺シーンを知らないように
私たちの“支え合い”もプロセスカットされているのです。企業に勤め、給料をもらい、
それを消費に使うという取引が複雑に絡み合い、
誰が誰を支えているかを単純に理解することは不可能になりました。そして、企業は、“お客さま”を“消費者”と呼ぶようになりました。
年末のご挨拶に書きましたが、
これから「ネオ中世時代」がはじまると思います。そこで、必要になることは、近代以降の社会がプロセスカットしたものです。
プロセスカットしたモノが復権するのです。今年は、そうした時代の開始の一年です。
だから、私たちに必要なことは、「“支え合い”の確認」です。
お客さまに、支えられ、私たちがある。
そして、私たちも、お客さまに全力で支え返す。この当たり前を、しっかりと実感する。
“よいサービス”などという軽い言葉に惑わされることなく、
自分たちの存在そのものの有り様をプロセスカットせずに考える一年です。また、素晴らしい一年がはじまります。
2011年1月1日