2007 - 2008
年末のご挨拶(2007年末)
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「一年が経つのは早いものです」などという書き出しは
したくない。
されど、先達の言葉ではじめるのもよく使う手だからなぁー。そんなことを思って、文章が止まると、
私たちはとても「不自由」なんだな・・と気づきます。たかが、年末の挨拶。
それも、あっという間に流れる一年の中で、
「今年もお世話になりました」や「あけましておめでとう」という言葉も
単なるクリシェに成り下がっている時代。
しかし、そんな時代にこそ、意味のないことにこだわりたい。
そんな思いがあります。
ところが、ちょっとこだわろうとすると、今度は「不自由」が待っている。
困ったものです。私たちは「自由」を標榜しながら、「不自由」に向かっている。
これは間違いのない事実でしょう。
だって、何かを選べば、その選んだものが必ず制約になるのですから・・。自分が創造したもの、選択したもの。それが私たちを不自由にしていく。
それは創造した時や選択した時にすでにはじまっています。
なんと皮肉なんでしょう!!「じゃー、どうすればいいんだ・・」の答えはロラン・バルドが出していますが、
その答えは正解ではあるけど、解答ではない。
選んじゃいけないということです。年末に、何もこんな救われない話を書くのもなんなのですが、
ご挨拶の書き出しに困っていたら、その不自由さをそのまま書いてしまいました。
(ちなみに、「こういう書き出しはいけません!」と叱ったのは本多勝一氏でした)しかし、その「不自由」を認識する。そこから始める。
そういうやり方は小動物的で個人的には大好きです。
それに、大動物は衰退する時、自分が構築した「不自由」に打ちのめされると
相場は決まっていますからね。私は、エリック・ホッファーの
「成長できないものに限って、飛躍したがるものである」
と言う言葉が好きです。
フランクルの
「幸せになるのを邪魔しているのは、まさに“幸せを追求すること”
それ自体なのである」
と言う言葉にも共感します。きっと、人生を生きていくのには、そんなに大きなエネルギーは必要なさそうです。
小さいエネルギーの積み重ねの方がずっと強力なんです。
これは、決して、負け犬の老荘思想なんかじゃありません。
冷静に勝っている人を見れば、みんなそういう人たちなんですから・・。
私は、そんなことをあらためて感じさせていただいた一年でした。みなさま、本年も大変お世話になりました。
個人的なことになりますが、今年はてんやわんやの一年でした。
「人生」という“野郎”から次の発達課題を迫られ、どうしたものか止まったり、
無視したり、お話し合いをすることの多い一年でもありました。
来年も、「自分」という奴の「分」がどこまであるのかを慎重に測りながら、
「分」の範囲で精一杯に背伸びをしたいと考えています。
また、次の「一年」がはじまります。
やはり「一年のけじめ」っていいですね。
来年もよろしくお願いします。2007年12月28日
年始のご挨拶(2008年1月1日)
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今年もよろしくお願いします。
真っ白なキャンパスに今年は何を書くか思案中・・。
2008年1月1日