2003 - 2004
年末のご挨拶(2003年末)
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今、ここ、私
仕事の相棒 平秀信さんが言いました。
「岡本さん、2年後、何する?」
もう一人の相棒 佐藤昌弘さんが言いました。
「岡本さんは2年後どうしようと思っている?」正直、今年の私は2年後が見えません。
こういうことはビジネスを始めてから10年たちますが、初めてのように思います。今まで随分、先を見て走ってきました。
思い描いたことを確実に実行し、仕事を楽しんできました。
長いお付き合いの方々は、私が過去に言っていた「大ぼら」を
一つ一つ形にしてきたことをご存知だと思います。
また比較的、身近でお話が出来る方には、先を見ることの重要性や
先を読むことの重要性を何回もお話させていただいたと思っています。その私が、これから2年間、先を見るのを辞めようと思っているのです。
それは、うまく言えませんが、「そういう時代に入った」と思うからです。
「今、ここ、私」
誰の言葉だったか忘れましたが、
この言葉の意味が本当に体感できる時代になったと思うのです。『ミュータント・メッセージ』に出てくるアボリジニ。
彼らは、何の地図も食料もなしで砂漠を横断します。
そして、瞬間瞬間に起こることを必然と考え「今」を大切にします。アボリジニと同じように生きようとは思いませんが、
先を見ずに歩くという作業には多少なりとも恐怖感があるのは事実です。
しかし、幸いにも、私には皆さま方多くの同士の方々がいらっしゃいます。
気がついてみれば、「あ・うん」の呼吸が出来る同士の方々と
たくさんご縁をいただけるようになっていました。
だから、先を見て走らなくても大丈夫・・と思うのです。そして、経営が芸術だとすれば、
瞬間瞬間を生き抜いていくことこそ芸術だと思うのです。今年のご挨拶は、恥ずかしながら、私事を書かせていただきました。
来年の春で、私のビジネスも10年を迎えます。
年末には1冊目の本が出版され、年明けには2冊目の本も予定されています。
そして、10年ごとに生き方を変えてきた私の次の10年の始まりと考えています。きっとこれから、もっともっと面白くなると思います。
一緒に楽しい絵を描いていきましょう。
ヘタでも、材料が悪くても、上と下が分からないような絵でもいいと思います。
きっと、本当に自分を誉められるのは自分だけだと思います。皆さま、本年も大変お世話になりました。
今年一年も皆さまのおかげでたくさんの良いご縁をいただき
充実した一年を送らせていただきました。
来年も今年同様にお付き合いのほどをよろしくお願いいたします。
そして、皆さまが大きな夢に向かって順調に進まれることをお祈り申し上げます。
ありがとうございました。「何かをやろうとしようが、何かをやめようとしようが、
そこには必ず動きがある。
-このようにわれわれは第一歩から間違いを犯してしまう」(ケン・ウィルバー)
2003年12月25日
年始のご挨拶(2004年1月1日)
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新年、おめでとうございます。
また、全てがリセットされて、新しい年ですね。毎年、毎年思いますが、私たち人間の営みとは何なのでしょうか?
どんなにがんばっても終わりがありません。
いつまで、がんばるのかも分かりません。達観すれば、そういう事実がある。
だから、がんばることを辞めることもできる。
そして、そういう人たちもいる。でも、私たちはがんばる。
それは何のためなのでしょうか?当然、お金を稼ぐというのは大きな理由でしょう。
しかし、稼ぐのを辞めて、使わないという方法もある。
現に、そういう考えで山の中で自給自足をしている人たちもいます。そういう道もあるのに、私たちは、それでもがんばる。
それはどうしてでしょうか?私個人のことを言えば、
「余韻」に浸りたいから・・。
がんばる理由は、「余韻」に浸りたいからです。一つの仕事が終わった後の静寂。
その静寂のためにがんばっているような気がします。でも、その「余韻」は単なる静寂ではありません。
その「余韻」の中には、たくさんの何かがあります。それは、一つの仕事を成し遂げた「満足」であったり、「反省」であったり、
新たに得られた「知恵」であったり、いろいろです。そういった見えないものに浸るためにがんばる。
私個人は、そういう風に考えています。
年を取るにつれて、毎年毎年が早くなる。
正直な所、新年だからと言って、特別なことも感じません。
改めて、新年の挨拶というのもおかしな感じです。しかし、人には、ふっと立ち止まるときが必要です。
特に、中小企業の経営者にとって、本当に、立ち止まるときは正月ぐらいしか
ありません。
中には、新年の売り出しなどで、正月でも立ち止まれない方もいらっしゃること
でしょうが、それでも正月と言うものは、自分が歩いてきた軌跡の確認と
新たなスタートへの覚悟のための大事な一時だと思います。さて、新年のお休みが終われば、また我慢くらべが始まります。
休んでいる私たちには、向こうに見える岸はとても遠い。
でも、急いでいくこともできません。
歩みは一緒。
問われるのは中身です。今年の暮れは、どんな「余韻」が待っているでしょうか?
そんなことを考えながらスタートの準備をしてください。
私たちには、踏み出すことしかないのですから・・・。2004年1月1日