2009 - 2010
年末のご挨拶(2009年末)
-
2009年末。
「今」は、混乱期にあります。しかし、ちょっと考えてみると、
「今」は、いつも“混乱”の中にありました。いつの時代でも、
「今」は、時代の変革期です。
そして、
「今」は、未曾有の状態です。私が初めて体験した、未曾有の状態は、オイルショックでした。
そして、あれから毎年のように、未曾有の状態は起きています。私たちは、「大変な時代」を反復し、いつも大騒ぎしている。それだけなのです。
・・しかし、「今」は、今までの「今」とは変わらないのでしょうか?
・・・・・・・・・・・・・・
この後、私は、この文章に続く文章を書きました。
しかし、その文章をすべて消しました。なぜかというと、菊池成孔さんの文章に出会ったからです。
たまたま行った彼のダブ・セクステットのコンサートのパンフの中に、
私が書いた上記文書と同じような趣旨の文章があり、
次のように続いていたのです。「いや、そうは言うけど、今度こそ久しぶりで本物の混迷が来たでしょ」
と、嘯かざるを得ないではないかと思います。今、「いつだって変わらねえよ。どの年も一緒だよ。終わっちゃえば懐かしく
牧歌的な過去よ。何ともないよ」という、実に頼もしい台詞を吐く御仁がいたら、
それはバカとか鈍感とか、或いは天才であるとか悟っているであるとかいう
以前に、私はその御仁を、楽しく無い人物だな。と思い、あまつさえ
「気の毒になぁ」等と、余計な憐憫までかけてしまうでしょう。これほどワクワクして、面白い時代はないです。・・・・・・・・
私の駄文より、この文章の方が良い・・と思った私は、
潔く勝手に引用させていただくことにしました。ちなみに、当日のコンサートのゲストは、UA。
スワヒリ語の“花”という言葉をネーミングした女性がステージに現れた時、
私は「なんだか良い年末だ・・」と思いました。菊池さんが言うように、こんなに楽しい時代はないと思います。
しかし、楽しい気分と同時に怖いという気持ちがあるのが本当のところ・・。今回の「今」は、今までとは違うという予感があるからこそ、
恐怖心がわいてくるのです。では、その恐怖心を克服するヒントは何か?
私は、“花”だと思っています。
花とは何か。
それは、「宇宙の力全体の瞬間的把握のこと」です。自分自身に、“花”とネーミングをした歌い手を迎えたダブ・セクステットの演奏は、
それそのものが「花(=フラワー)」でした。何も怖がる必要なんてありません。
私たちは、瞬間瞬間に宇宙を把握し、表現していけばいいのです。
私はそう思います。みなさま、本年も大変お世話になりました。
ドタバタしながらも、まだ歩かせてもらえる。
こんなうれしいこと、そして、楽しいことはありません。
また、次の「一年」です。
歩けるだけでうれしいという幸せ感をしみじみと感じながら、
また、“次”に向かおうと思います。
来年もよろしくお願いします。2009年12月28日
年始のご挨拶(2010年1月1日)
-
昨年の年始めのご挨拶ではこんなことを書かせていただきました。
「不況のせいで・・・」
テレビなどでよく聞かれる言葉です。
しかし、私たちには関係のない言葉です。私たちの合い言葉は、
“不況のおかげ”
一年が過ぎたときに、
「不況のおかげで会社がさらによくなったね」
と言えるような一年にする。
それが私たちの行く先です。・・・・・・・・
さて、今年は、“不況”と言っても、
昨年とはニュアンスが大きく違ってきます。「“不況”は、当たり前」
こういう年になるでしょう。
そして、これから、この当たり前が、数年間続きます。したがって、
最早、“不況のせい”も“不況のおかげ”もありません。
“当たり前”なのですから、空気のようなものです。では、これから、数年の私たちの合い言葉は何でしょうか?
私は次のように提案させていただきます。「あなたナシでは、やれません」
多くのお客さまに、こう言っていただける私たちになる。
これが、合い言葉です。何と、当たり前のことを言っているのか!
とお思いかもしれませんが、
当たり前が当たり前になる時代というのはそういうものです。また、素晴らしい一年がはじまります。
2010年1月1日