『年末年始のごあいさつ』 2005 - 2006

年末のご挨拶(2005年末)

  • 「日常は灰色で平凡でつまらないものに見えますが、
    そう見えるだけなのです」

    第二次大戦下、ナチスによって強制収容所に送られ、
    妻を含む家族や友人を失ったV・E・フランクル

    彼は強制収容所で仲間達がガス室に送られたり、
    精神的自己破壊の末に病死していくなかで生き抜きました。
    そして、その経験から「生きる意味」について考えました。
    その彼が、強制収容所から出て1年後に行なった講演で言った言葉が、
    冒頭の言葉です。

    彼は強制収容所での体験から一つの真理を得ます。

    「われわれは人生から何を期待できるか?」と考えるのではない。

    「人生は何をわれわれに期待しているのか?」と考えるべきである。

    さて、来年から21世紀がやってきます。
    ここ数年、年末になると2006年から21世紀だと言い続けてきましたが、
    とうとうその本番が迫ってきました。

    20世紀にさよならを告げるように中内功、中山素平、P・F・ドラッカーという
    20世紀の巨人達がお亡くなりになり、準備は整ったという感じです。

    21世紀は、私たちに何を期待しているのでしょうか?
    その21世紀が求めるものが、これからの世の中の動きであり、社会変革の方向です。

    社会変革の流れは来年から加速をし、第四コーナーをまわります。
    このコーナーはかなり勾配の厳しいカーブで、
    一歩先を、目線をはずさずに見ていないとスピンアウトは必至です。

    そして、とても長いカーブです。
    しかし、それを抜けた先には最後の直線。
    観覧席では未来の私たちが、今の私たちが来るのを今か今かと待ちかまえています。

    ぜひ、みなさまと一緒に最後の直線を走り抜きたい。
    第四コーナーに入る前に思うことはそれだけです。

    一見つまらないように見える平凡な日常こそが、大きなカーブです。
    そのカーブのきつさそのものが人生の問いかけです。
    そして生きていくこととは、その問いに答えることなのでしょう。

    みなさま、本年も大変お世話になりました。
    おかげさまで、今年も一年の格闘を終えることができました。
    少しゆっくりと足下を見つめ直しながら、
    1月1日からの新たなスタートを迎えましょう。
    来年もよろしくお願いします。

    2005年12月26日

    岡本吏郎

年始のご挨拶(2006年1月1日)

  • 新年、明けましておめでとうございます。

    2006年を迎えるにあたって、思いついた言葉があります。
    「明日、世界が終わろうとしても、私はリンゴの木を植える」
    なぜか、誰の言葉であったか、ド忘れしてしまいました。
    しかし、何て良い言葉でしょうか。

    時代は、「進歩」という価値観では、一つの飽和点を迎えました。
    そして、その飽和点に立つ私たちは、進歩の先の「閉塞感」というものを
    実感しています。
    どんなに身近なところでうまくいっていようと、
    時代の「閉塞感」を背負っている事実は変えようがありません。
    一部で流行っている「成功教」も言うなれば、単なる「恐怖心」の裏返し。
    それを利用して、「成功教」という商品を作る金儲け主義者たち。
    そして、閉塞感や恐怖心から金儲け主義者の思う壺にはまる人たち。
    閉塞が生む「無理な上昇志向」をよそに、
    私たちは、小さなリンゴの木を植えましょう。

    2006年という21世紀のはじまりの年。
    (なぜ、21世紀のはじまりかは昨年のご挨拶でくどく書きましたので触れません)
    私は、そのはじまりを静かに迎えたいと思います。
    無理に勢いよくする必要なんてありません。
    少し深い世界に入って、未来を見つめましょう。
    きっと、リンゴの木は大きくなります。
    もし、大きくならなくてもいいじゃないですか・・・・。
    それでも、リンゴの木を静かに植えましょう。

    2006年1月4日

    岡本吏郎