約35年ぶり。
ひょんなことから、後谷(うしろだに)の廃村へ行ってきた。
このあたりで20代の頃によく騒いだ。
当時も村はすでにない。
訪れるのはダムの管理者くらいだった。
・・が、新興宗教の人たちが入村し、自給自足の生活をはじめた。
オウムの事件の前。だから、別に不気味な感じはなかった。
しかし、「この人たち、いつまで持つのかな~」と思っていた。
今回行ってみると、彼らの生活の場は廃墟と化していた。
まー、予想通り。
廃屋の様子では、山を降りたのは、ここ15年くらいか?
意外に、頑張ってたんだなーと思った。
この山では、イワナを手づかみで取ったりしたものだ。
小さな沢を登ると、そこらじゅうがポイント。
もちろん、山菜の宝庫でもある。
しかし、昔からそうだが、山菜採りの姿さえ、ここまで来るとない。
それでも、奥にダムがあるから、狭いながらも道はある。
その道をたどりながら思う。
「いつまで、この道の整備は続けることができるのだろう?」
山の奥の、また奥。
手前の道路の整備さえ、これからは危うくなるはずだ。
いつまで人の手が及ぶのだろうか?
でも、日本の人口が1億人を超える頃は、この廃村にはそれなりの数の人々が住んでいた。
もちろん、道は整備された今のものではない。もっと細い里道。登山道をイメージしたほうがいいだろう。
整備された道もいつかはなくなる。
今のように、車で訪れることもできなくなる。
ダムの管理はどうなるのだろうか?
今度は、イワナを捕りにこよう。
夏を過ぎた頃が、食べ頃である。
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