【苦しめTAROお仕事LIVE】
2009/06/16(火) 05:37
『金銭的真相』2
この間、青島に行った時に、本屋に寄りました。
笑いましたね。
日本の事情と何も変わりません。
自己啓発系著書やノウハウ系著書が所狭しと並んでいました。
私の本が『金銭的真相』となって並べられるのも、
そんな流れの一貫なんでしょう。
・・そこで、考えてみました。
この価値観ってナンナンダイ・・と。
そりゃ、昔からこういうのはあります。
中国はわかりませんが、中国だってきっとあったことでしょう。
日本でこういう本が流行った最初は、なんてたって、元禄時代ですから歴史もあります(自己啓発系があったかはわかりません)。
さらに、それが周期的に来るのもわかっています。
そして、こういうものが流行った後の末路も過去のことについてはわかっています。
さらに、今回も、そろそろ何かが起こることは請け合いです(それをここで書くと、物議を醸すので書きませんが・・)。
問題は、”いつ”なんですよねー。
これは誰もわかりませんから・・。
・・・・でぇ、『金銭的真相』というタイトルなら、こんなことも書きたかったな~と思ったりします。
【苦しめTAROお仕事LIVE】
2009/06/15(月) 05:16
『金銭的真相』
今まで、自分の本が韓国とか台湾で翻訳されても、
別に、ブログに書いたりした記憶がないのですが、
ちょっと、タイトルが気に入ったので書きます。
『お金の現実』の中国版『金銭的真相』です。
んー、いいタイトルだぁー。
ただ、『金銭的真相』というタイトルだと、別に書きたいこともあったりしますが・・。
帯には、
「日本で最も売れている経済作家の財産についての本。
たとえ社会がどのように変化しても、みなさんは財産の本質を知っておく必要があります」
と書いてあるそうです。
んー、
“日本で最も売れている”がウソ
“経済作家”がウソ
ですね・・・・・。
そもそも、作家でも何でもないときたもんだ・・。
中国人は、知ったら怒るかな~?
でぇ、”財産の本質”ってことなんですけど、
この問題って、哲学的問題であって、経済的問題ではないんですよね。
それを、経済的問題としてとらえるから、みんなが勘違いをしちゃうと思うんですが、どうでしょう?
もちろん、『お金の現実』という本は、その両極を適当に綱渡りした本として著者は書いたつもりなんですけど・・。
どこかで、この経済的VS哲学的をちゃんと正面に引き出して、ゆっくり2年くらいかけて書いてみたい気がしますね。50代になったら、少しは書ける程度の人間になっているかな?
中国の人が「金銭的真相」というタイトルをつけてくれたので、
それに、そんな形で返答したい気がしますね・・。
【無理に哲学】
2009/06/12(金) 04:29
多数決
多数決は、困る
(今日も、やっぱり、藤沢秀行)
*****************
果たして、この言葉を秀行さんの言葉とすべきかは
疑問ですね。
(立川談志)となっていても、良さそうです。
私の名前が入っていてもかまいません。
この秀行さんの言葉の前には
「民主主義というのは困りものだよ」
というのがあるんですけど、
ここら辺は、この手の気分の方々共通のものですね。
こういう発言は、基本的に
民主主義が好きだから出る言葉ですけど、
誤解も与えちゃう。そういう危うさがまた魅力的です。
そんな魅力的な方がお亡くなりになりました(合掌)。
【無理に哲学】
2009/06/10(水) 05:22
無限
人は、
無限の中に生きてるんだ。
(さらにさらに、藤沢秀行)
*****************
”無限”の体感というのは、
どういうものなんでしょう?
現代人は、
むしろ、有限を押しつけられて生きています。
だから、無限の体感ができていない。
『荘子』の”逍遙遊篇”の理解は、
この秀行さんの言葉を体感することにありそうだと・・と
いつも思うんですけどね・・。
【無理に哲学】
2009/06/09(火) 05:15
リズム再び
人生というのは、リズムがある。
(中略)
このリズムを外した時、
その人の人生は終わりです。
(今日も藤沢秀行)
**************
またまた、リズムです(みなさん、おっしゃる!)。
そして、秀行さんは、「人生が終わる」と言い切っちゃう。
実際そうでしょうね。
ところが、このリズムが狂うんだ・・・・・。
もう、人生が終わっているのかも?
まいるなー。
【無理に哲学】
2009/06/08(月) 05:04
定石
藤沢秀行さんが、先月お亡くなりになりました。
清志郎び死と同じくらいのショックです。
先週、調子に乗って、ラッセルづくしだったので、
今回は、藤沢語録で・・・・・・
******************
定石もヘチマもない。
見てていい手が定石なんだ
(藤沢秀行)
******************
定石とは、力なきものの為にあるんでしょう。
でも、”見てていい手”というのは、時にはあります。
美しい仕事とは、そういうものの組み合わせでしか
本来はできないものなんでしょうね・・
【無理に哲学】
2009/06/05(金) 05:11
さて・・・・、ラッセル
昨日まで、ラッセルを続けてしまったので、
今日も、ラッセルの引用をしようと思いましたが、
んーーーーーーーー。
良い言葉はたくさんあります。
私の大好きなラッセルの言葉もあります。
(過去に、『週間 岡本吏郎』にて大々的に引用)
しかし、今日、本日、6月5日に向かいたくなる言葉がありません。
こんな私に、ラッセルは次のように答えました。
*****************
あまりに多くを求めることは、
得られるものを
得られなくなる一番確かな方法である
(当然だけど、ラッセル)
*****************
今後、気をつけます>ラッセルさん
【無理に哲学】
2009/06/04(木) 05:02
副交感神経
昨日、ラッセルの言葉を、
副交感神経としてかたづけましたが、
あの言葉の後の言葉違います。
****************
本当に満足できる幸福は、
それに伴って、
私たちの諸能力が最大限に行使され、
私たちの生きている世界を最大限に
理解させてくれるものです。
(やっぱりラッセル)
*****************
これって、交感神経的かも?
でも、諸能力が最大限に発揮されるから、
副交感神経的幸せがわらうようになるんですよね。
ある程度の実現をした人は、
「オレは、オレは!」
と言わない。
「見て、見て、偉いでしょ」
とも言わない。
ただ、フラフラしているものです。
「私たちの生きている世界を最大限に理解する」
というのは、そういうことだと思います。
世間的には、
「見て、見て、偉いでしょ!!!」
だけで、ゲップが出そうですけど・・。
【無理に哲学】
2009/06/03(水) 05:29
インチキ
どんな種類であれ
陶酔を必要とするような幸福は、
インチキで不満足なものだ。
(本日もラッセル)
****************
この言葉は、以前もどこかで引用しました。
(『週間 岡本吏郎』だっけ?)
私の大好きな言葉です。
交感神経的幸福VS副交感神経的幸福
・・とでもいいましょうか?
副交感神経的な幸福さ・・というのは、
子どもに無理で、「タイクツダー」と叫ばれるだけですが、
人生の経験が増すことでわかるようになります。
若者が、ガチャガチャ動いていることを批判はできません。
自分だってそうだったんだから・・。
でも、インチキには早く気づいた方がいい・・・・・
というも事実ですね(夢はないけど・・)。
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