月: 2008年3月
【TAROの日記】

2008/03/14(金) 05:49

何をしていたんだろう?5

ダラダラとわけのわからないことを今週も書いてしまったという後悔がありますが、まぁ、毎日書くということにしか価値はおいていないので、まぁーいっかーと一人考えつつ、最終日です。

書きながら思いましたが、一人の人間がやっていることって意味ありませんね(笑)
別に、今やっていることを全部やめても何の影響もナシ。もちろん、世間様にも影響ナシ。

でぇ、「何をしてるんだろう?」なんて思い始めてしまった・・と。

2年間遊んで家を建てたことについては、何をしていたか明確。
でも、仕事はほどほどだったので、世間的には評価低いですわー。

ところが、今は、家庭も趣味もなにかも犠牲に仕事しているけど、何をしていたかは不明確。

12月31日になって、長距離マラソンから帰ってきた気分だけが残るんですよね(この感覚は、家族を家に置いたまま、一人で貧乏世界旅行をしている感覚と変わりませんね、きっと・・)。

でぇ、そういうものなんでしょう。

ぜーーんぶ、無意味。
でも、その無意味がコンテキストになって意味をなす・・・ということでは?

だから、あんまり計画とか目標とかから入るのではなくて、単に「無意味」を繰り返すというのが生産的なのかも?

「映画を見る」
というのは意味があるけど非生産的。
「酒を飲む」
というのは意味もなくて非生産的
「仕事をする」
というのはぜんぜん意味がないけど生産的

・・なのかな?

稲作農家が経営難で、物流業も経営難・・・・・・・。
生きることや資本主義の根幹を担う仕事が稼げなくて、無意味なことの方が稼げちゃう。中田ダイマル・ラケットや吉田戦車の無意味さの方が、心を引き寄せられちゃう。

無意味なものに、「いみねー」というのは野暮なんですね。
よく考えてみたら、最近、うまくいかないときとか、なんだか世間と乖離していると感じる時って、意味のないものにムキになって「いみねー」と言っているときが多いですもん。

・・ということ無意味を続けましょう。
しかし、こに文章も意味ねーなー。
でも、そう言わないのがコツですよ!(笑)

【TAROの日記】

2008/03/13(木) 05:47

何をしていたんだろう?4

しかし、しかし、しかし・・・。

疑問と驚きと諦めと厭世観がワンセットはいいけれど、「満足」というボキャブラリーが欠けているではないですか!!

「あなた、満足?」
と聞かれたら、
「はい、思いっきり、満足です」
と答えますよ。絶対に。

「具体的に、何に満足ですか?」
と聞かれたら、かなり具体的に答えられえるでしょう。

そもそも、東京都内を自転車でアチコチ走るというレベルのことだけでも、相当満足しちゃう性質なので、満足についての感応度は相当高いと思います。
そういう点じゃ、幸せ者でしょう。

しかし、そういう奴なのに、「満足」という言葉の優先順位が低い。どういうことでしょう?

そして、「満足ですか?」と聞かれたら、「満足です」と答えるのに、体を覆っている厭世観は何なんでしょう?
んー、不思議だ・・。

【TAROの日記】

2008/03/12(水) 05:46

何をしていたんだろう?3

この不思議な感覚の理由は3つほど思い浮かびます。

1. 過去は、働いているつもりでしかなく、実は遊んでいた。
2. 実力がついて、昔やっていた程度の仕事は片手間でできるようになった。
3. 2.の逆になるけど、過去の自分はお話にならないほどバカだった(今もそうですが・・・・)

でぇ、このどれかではなく。どれもなんでしょう。
昔の方が遊んでいて、バカだった。でも、最近はバカなりに、だいぶ効率の良い仕事をしている。しかし、気分はいつもいっぱいいっぱい・・。来年になれば、今の自分は「あの程度・・」という評価になる・・・・ということなんでしょう。

確かに、2年間遊んだときも、あれはあれでいっぱいいっぱいでしたね。
脳みそが全力で動いていた感覚があります。

ところで、今の感覚では今年は昨年の倍は仕事しています。
「どうしてこんなになったんだぁ?」
という疑問と
「よくまー、仕事をこれだけ入れてるよな・・」
という驚きと
「いつまでこんなことしてるんだか?」
という諦めと
「どこかに行ってしまいたいです」
という厭世観が
ない交ぜになっております。

でも、考えてみたら、この約15年はずーっとそうだったことに気づきます。

つまり、疑問と驚きと諦めと厭世観はワンセットですね。

【TAROの日記】

2008/03/11(火) 05:43

何をしていたんだろう?2

では、後から見ると「異常」に見えることは、過去から見るとどうなるんでしょう?

・・ということでやってみました。
2008年3月を昨年の3月から見てみました。

いやー、これが異常なほど異常です。
体が持つのか不思議なくらい異常です。さらにカオスです。

今から見ると、昨年は明らかに遊んでいました。
休みになると、モラトリアムになって仕事する気ナシ。
今、必死になってやっていることも、昨年は放っておいたことじゃないか!!と今気づいてしまいました。

でぇ、ついでなので2年前にさかのぼってみると、やっぱり遊んでいます。
今ほど働いていません。

さらに3年前にさかのぼってみると、やっぱりやっぱり遊んでいます。
いったい、いつ仕事をしていたのか不思議です。

しかし、今年は異常に仕事をしています。

んー、でも2年前も、3年前も、4年前も同じようなことを言っていたような・・。

ナンナンダ・・。

【TAROの日記】

2008/03/10(月) 05:42

何をしていたんだろう?1

スタッフを酒を飲んでいて聞かれました。
「昔って、どれくらい忙しかったんですか?」

質問をした彼も当社で4年。
でも、その前のことを知らないので、聞いてみたくなったらしい。

一番長く当社にいるスタッフに相槌を求めながら、私は言いました。
「んー、おまえが入る前に2年くらい、仕事の優先順位を思いっきり下にしたことあるな~」

その「思いっきり下」にしていた頃は、ちょうど家を建てていた時で、休みになると参考になる家を見に行ったり、柱を削ったり、壁を打ち付けたりしていました(その様子は、『週間 岡本吏郎』で連載中)。

今、考えると、何考えていたのかな?

不思議な2年間だったな・・と思います。

でも、それは今から見るとそう見えるだけで、その時は「普通」。

別に、いつも「普通」だけど、後から見ると「異常」ということなのでしょうか?

【TAROの日記】

2008/03/07(金) 05:29

そもそもないのにアテにするお話4

でぇ、最終日です。
とりあえず、これを打っているパソコンは今のところアテになっています。
・・・なんて書くと、急にアテにならなくなるのが、このパソコンです。このパソコンとも付き合い1年ですが、よく我慢して使ってるよな~。

でぇ、そういう風に周りを眺め回せば、我慢して使っているものだらけでしょ。

最近、ヘビーローテーションの『i-pod touch』でさえ、我慢して使っているし、家だってなんだって、100%ではないですから・・。
だから、我慢ができないと何も進まない・・ですよね。

こうしたことを我慢しないで、思い通りに使い切る(特に人を・・)という風潮はますます盛んで、病気の人の行動や刑務所の管理システムの応用などを組織で使う考えも流行してますけど、こうしたことって、多くのハリウッド映画が警告したテーマだったんじゃないかな~と意地悪にも思ってしまう自分がいます。
でも、みんなで我慢したら進歩なんてナシですから、さて、どっちが正しいのかはわかりません。

ただ、人生の半分はアテにする生き方を、残りの半分はアテにしない生き方がいいのかな~とは思います。我慢の種類が変わってくるんでしょうね。
結局、自分の年齢がギヤチャンジの時期に来ているのでこんなことばかり考えるんでしょうね。

でぇ、結論的には、何もアテにしない自分をアテにする・・というのがいいな~なんて思っています。

追記
今週は、結構、具体的な攻撃対象がいくつもありましたが、それについて書かないで書いたので、訳のわからない文章だったと思います。こういうのがしてみたかったんですよね・・。でも、わけのわからない文章じゃダメだし、ちょっと揺れもでたな~(反省)。

【TAROの日記】

2008/03/06(木) 05:28

そもそもないのにアテにするお話 ?幕間?

一度、今週のような感じで、わけのわからないことを堂々巡りで書いてみたかったので、思っていたことが達成できましたが、4日目にして挫折です。

まさに、自分はアテにならなかった・・というところですね~。

立川志の輔の小話にこんなのがあります。

患者「先生、ボク、コーヒーを飲むとき、いつも右目が痛いんです」
医者「それは、困りましたね。ちょっと見ますので、私の前でコーヒーを飲んでみてください」
患者(コーヒーカップを口につけてコーヒーを飲みながら)「あ、イタタタタタ」
医者「あー、スプーンを入れたままコーヒーを飲むからですねー」
患者「あー、そうですね~」

字で書くと面白さが10%くらいになりますが、このナンセンスが好きです。

こういうのを、違う形で目指そうとしたのですが、んー無理ですね~。
仕事をしながらでは絶対に無理。朝の思い付きでは絶対に無理。
これから『初音ミク』に挑戦のつもりですが、これも、無理だな・・。

【TAROの日記】

2008/03/05(水) 05:27

そもそもないのにアテにするお話3

でぇ、「私はアテにならない・・」と強引に結論付けて、昨日を終えまして、結局、私たちって、何をアテにすればいいんでしょう?

・・と問いかけてみると、答えは簡単です。

「アテにならないものをアテにする」
ということでしょう。

「アテにならないけど、彼に頼るしかない」
とか
「アテにならないけど、コレに頼るしかない」
という言葉がありますが、

そもそもアテになるものなんてないんだから、頭の「アテにならないけど」という部分は必要ないんですね。

私たちは、いつも、「彼に頼るしかない」「コレに頼るしかない」で生きているというわけです。

でぇ、自分にも頼るしかないんだから、本当に、「ガンバレ!自分」ですわ・・。

でも、アテにならないものをアテにすると、結構、アテになること多いわけで、「自分をアテにせざるを得ない」だけだとしても、積極的に「自分をアテにする」のは、やっぱり間違っていませんわね(だんだん、何を言っているかわからないなってきたぞ・・)。

最近の「自己実現」解釈の違和感は、こんなところがベースかな?

でぇ、自分の頭もちょっとアテにならなくなってきたので、本日はここでやめます。

【TAROの日記】

2008/03/04(火) 05:26

そもそもないのにアテにするお話2

この「そもそも完璧じゃないのに、アテにしてしまうお話」が最も頻繁に起こるのは最新技術よりも人でしょうね、やっぱり・・・。

任せておいたら、とんでもないことになった・・という話は誰でも経験していることです。

組織というのが凄いのは、こうした最新技術や人や小道具という「アテにならないもの」をたくさん抱え込みながら全速力で走っているというところでしょう。

イメージとしては、『ハウルの動く城』みたいな感じかな?

でぇ、このアテにならないものは、別にいつもアテにならないわけではなくて、アテにもなるわけですねー。
まぁ、アテにならなきゃ、買いもしないし、雇いもしませんわ・・。

でも、大きくなればなるほど、アテにならないものが集積していくわけで・・・。

さらに、一番アテにならないのは、自分だったりするんですから、たまりません・・。
まぁ、わかっていないより、わかっている方がマシだけど。

【TAROの日記】

2008/03/03(月) 05:25

そもそもないのにアテにするお話1

先週、テレビ会議をやっていたら、回線の調子が悪くなりました。
そういえば、月曜日の朝礼もテレビ会議でやるのですが、調子悪かったな・・。
しかし、その前までは非常に順調でした。

話は変わりますが、最近オーディオのパワーアンプが壊れました。
そうでなくても腰が痛いのに、パワーアンプの故障はとても困ります。

でぇ、重いパワーアンプをはずして直しに出しましたが、直ってきたら、音はまったく出なくなってしまいました。
しかし、忙しくて、こんなものにばかりかまっていられないので2週間ほど無視。

そして、2週間後、もう一度かまってみると、鳴るじゃないですか!!
それも良い音。

ここのところ、オーディオちゃんのトラブルが相次いだので、久しぶりに良い音を聞いた感じでした。

「キカイ」という奴はデジタルなイメージがあります。
電話回線なんて、そもそもデジタル回線でしょ!

でも、とてもデジタルぽくない。

いい加減というかなんというか、そんなフワフワしたものを土台にして私たちは生活しています。

そもそも、電話回線なんて、昔からそうだったんでしょうけど、24時間つなぎっ放しの経験がなかったから、これほどお天気ボウヤだとはわかりませんでした。
ところが、今となっては、電話回線が起こす時々の不調は、当たり前ですね。

人というのは、いつも「絶対」とか「完璧」というのを求めるわけですが、そもそも、そんなものはない・・ということですね。
でも、「絶対」とか「完璧」を前提に仕事や生活をするから、コトが起こると大変になる・・・と不調な電話回線に怒りつつ思うのでした(ブログやっているのに、回線不調です・・)。

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